日々に囲炉裏で炭を熾していると、その炭にそれぞれの特徴があるのを感じます。その炭の個性一つひとつを使っているうちに理解し、どのように配置すれば最後まで燃焼するか、どれくらいの時間を要するか、火加減がどうかなどわかってきます。
私たちは炭は炭、水は水と簡単に仕分けていますが同じ炭や水はなく全てのものには特性があり個性があるのです。それをどのように活かすかはその人がどれだけ心を寄せてそのものに接してそのものを丸ごと理解しようとするかに由ります。
言葉で理解しているのは頭ですが、頭では個性までは理解できません。それが言葉から理解しようとするときに出てくるのが分かります。空も山も川もすべては一つの個性でありその個性をどのように感じるかで本来は名前ができてきたのです。
昨年、訪問したアイヌではさまざまな言葉がありました。例えば、川もアイヌ民族に言えば生き物であり個性があると観えていました。アイヌにとって川は基本的には女性であり、肉体をもち生殖行為を営み、子を産み、親子で、 山野を歩くものと考えられていました。
アイヌ語の「川」には「ベツ」と「ナイ」の2種類あり、「ベツ」は水かさが増すとすぐに氾濫してしまう危険な川、「ナイ」は岸がしっかりしていて、洪水に強い川としました。また「水」にも「ワッカ」と「ベ」という2種類あり、「ワッカ」は飲める水、「ベ」は飲めない水を指します。アイヌには無数の川の名前が存在します。
その川がどのような個性があるか、その川に親しむ中で自然の名前が出てきます。これは先に人間が言葉を使って仕分けたのではなく、自然にそのものの個性を名前にしていることに気づきます。
私たちは先に分類を分け、その分類に無理やりにそのものの個性を従わせるような考え方を持っていますが本来はそのものの自然な姿に名前を付けることこそが自然を理解する方法なのです。
自然を理解する先祖からの智慧を捨て、教科書通りや世間一般で決められた知識にばかり頼っていたらその代償して失うのは個性を理解する力です。
個性を理解する力とは、そのものをあるがままに丸ごと親しむ力です。
これから原点回帰する時代を生き抜く本物のリーダーは、すべてのものや人の持ち味を活かし調和させていく力が必要になります。その時のリーダーは決して分類分けしてそのものを見ることはなく、そのものの特性やあるがままの個性を活かしあって状況の変化によってさまざまなものに見立てて調和融合する観点が必要です。
その観点はかつてのご先祖様たちの生きざまのように自然に溶け込み、自然と調和して暮らしてきた智慧から学んだものです。
現在の暮らしの甦生を通して、私たちのリーダーとしての調和能力を高めるだけでなく自然のことを深く理解し、自然を活かして万物を一円融合する力をも磨いているように思います。
引き続きそのものの個性に親しみ、見立て、丸ごと活かす感性を自然に溶け込み自然に寄り添い自然から学び直していきたいと思います。
コメント
「身体に合った服をつくる」のではなく、「既製服に身体を合わさせる」というようなことが、あちこちで行われてきました。また、「予定通り、計画通りであるということが良しとされる」ことも未だにありますが、やはり、現場で直に接し、あるがままに丸ごと受け取ってからでないと、真に生かすことはできないかもしれません。
コメント
川にも個性がある、これまで一度も考えたことがありませんでしたが、穏やかな流れの時もあれば、水量が増し激しい時を思うと本当にそうだなと感じます。うちにいるメダカも元気に泳ぎ回っていますが、一匹ずつに個性があることを改めて思います。人間関係の中から学ぼうとするばかりではなく、身近な自然からも何か一つでも感じ取れるよう、何かあるのではという視点で見つめていきたいと思います。
コメント
そのものの個性から名前を付けるという発想は新鮮です。こうあってほしいという願望や自分たちの想い、歴史、感性でつけるという認識が自分の中ではほとんどです。すぐに名前を付けられるものというのは自分側の価値観で漬けているのだなと感じました。そのものをじっくりと観て、そのものの個性を理解していく。そのプロセスから生まれる「名前」というのは、その名前をつけられたもの自体も、そしてその周りも、活かされていくような気がします。
コメント
畳や和紙の話を知り、あれから色々なものが気になるようになりました。分類された言葉を聞けば「そのもの」と思い込んで信じてしまう傾向があります。仮に「畳」ではなく「プラスチック製なにがし」と名前をつければ、それはそれで水・ダニ・カビに強いという利点だけを活かせてお互いが共生できるのかもしれません。自他のあるがままを観る、認める、活かすということを大事にしていきたいと思います。