楽観性

想定外という言葉があります。

人は想定内の出来事に対しては準備していたといいますが、想定外のことだったので仕方がないとも言います。しかし本来、生きていたら想定外の出来事ばかりが起きるものです。

だからこそ想定外に備えることを本当の準備とも言います。

例えば、事故や災害なども同じくある日突然発生するものです。最悪の事態を考えておけば、それなりに日常を気を付けますがそこまで考えることをなかなかしないものです。それは決して楽観的なのではなく、単に思考停止しているとも言えます。

本来の楽観的というのは、最悪の事態を想定した上で最善の準備を怠っていないときに出てくるものです。なぜなら楽観性というのは、善いことになると信じている境地があるということでそれはどんなことがっても転じ福にしていこうとする日ごろの実績を積んでいるからでもあります。

突然人間は楽観的になれるのではなく、日々の小さな積み重ねによって楽観的になるのです。その積み重ねは常に真心を盡した分だけ楽観的になれるように思います。

大事なことを忘れないために続ける実践もまた、その積み重ねの一つになります。

想定外に備えるというのは、すべてのことは想定外であるという謙虚な姿勢を忘れないことかもしれません。常に教えていただいている、また間違っていることを気づかせていただいているという生きる姿勢が想定外に備えることのように私は思います。

論語にある、「学べば即ち固ならず」はその謙虚な学びの姿勢こそが視野を広げてくれるということを伝えているようにも思います。

常に学び続けているか、常に深め続けているか、そこに楽観性の本質があります。

引き続き、大事なことを忘れず楽問を実践する日々を歩んでいきたいと思います。

  1. コメント

    いかに普段平和ボケした中にいるか、そして本当に自分の頭で考えているだろうかと改めて感じます。自分ごとになった時はじめて新たな疑問も見つかりますが、何も考えずでは明るいではただの人任せになってしまいます。子どもたちに恥ずかしくない生き方を思った時、目の前の一つ一つを丁寧に丁寧に実践を積んでいこうと改めて思います。

  2. コメント

    常に想定外のことが起きるのは、畏怖心を忘れ慢心する人間を戒めているように感じます。「備える」というだけではなく、「備えないといけないようなことを起こす人間の心得違い」までを振り返ってみる必要もあるのではないでしょうか。また、「自分は大丈夫」という危険に対する認識の甘さも見直す必要があるでしょう。「怖れる」ということの真の意味を知らねばなりません。

  3. コメント

    昨日、実際に自分自身が家族にしている防災について振り返ると、全くの危機感の無さを感じました。想定できる範囲で準備していては、想定というものへ責任転嫁してしまいます。これは、働き方も同じだと感じました。今出来る最善を、今日も歩んで行きたいと思います。

  4. コメント

    昨日の教授の話は、そのどれもが防災にとどまらず、生き方に繋がっている話であることを強く感じました。想定外それは慢心せず油断しないとも言えるのかもしれませんが、その危機感の意識があって初めて本当の感謝も生まれるように思えます。これも日々の積み重ねとして、自分に活かしていきたいと思います。

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