昨日は、「大切なことを忘れないDAY」として社内で東日本大震災の振り返り、またカグヤの防災とは何かについて話し合いました。
以前の震災の時は、原発事故もあり全員で福岡に移動しそこで約2か月間ほど避難しつつ東北の取引先に手紙を書いたり物資を調整したりとしました。ただ真っ先に東京から自分たちだけ離れたことで、周りからは逃げたと噂され、卑怯者だと罵られ、その当時は深く心が傷ついた記憶があります。
私たちの会社の理念は子ども第一義、もしも子どもだったらと考えた時に如何に自分たちがその姿勢を見せるかということを優先しています。もちろん、逃げられない仕事もありその場合は仕方がないのでしょうが私たちの場合は生き方と働き方で貢献しようと決めていますからその一つ一つの判断が未来の子どもたちの指標になっていきます。
長い目で観た時に、子どもたちはこの地震や津波をふたたび体験するかもしれません。その時はもうすでに私たちはこの世にいないかもしれません。しかしその子どもたちにとって自分たちがどのように対処したか、どのような姿勢で臨んだかはきっとのちの世代のための貴重な糧になるはずです。
自分くらいという生き方ではなく、将来の子どもたちのことを考えたうえで自分がどう生きるかということの方が子ども第一義を掲げる私たちにとっては重要なことなのです。
世の中の常識に如何に負けず、周りの批評や非難を受けても本当は何かと本質を貫けるのは勇気のなせる業のように思います。
最後に、朝日新聞の天声人語の記事を紹介します。
「1966年羽田空港でカナダの旅客機が濃霧で着陸失敗。
64人が犠牲になった。
その事故の直前、ハワイから飛んできた日航機が二度の着陸を試みるも断念して福岡へ向かった。
ハワイから8時間もかかって羽田まで来たにもかかわらず福岡へ向かうことに乗客は落胆する。
福岡では入国手続きに手間取ったため、乗客の憤まんはピークに達する。
その時、空港のテレビで炎上するカナダ機を目にする。
憤まんは機長への感謝に変わった。
そして「臆病者と言われる勇気を持て」という格言が航空界に広まった。
最近の山や海の事故や大雨などの気象災害を見るにつけ、臆病なほど相手(自然)の機嫌をうかがう心構えが肝要である。…と結んでいる。
自然を次々と破壊して、自然と称した人工物を自然と勘違いしている今の人間たちを本物の自然は寛容に許してはくれないようである。」
ここには臆病者と言われても、自分の考えを貫き通す勇気、弱虫と言われても、率先垂範して逃げる勇気が観えます。勇気とは決して野蛮で勢いで行うものではなく、自分の弱さと正面から向き合ってはじめて人は本物の勇気を持つことができるように私は思います。
勇気は問題意識と危機感、そして現実の直視からはじまります。引き続き子どもたちのためにも、想定外に備えて初心をいつまでも忘れないように実践を続けて積み上げていきたいと思います。
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「子どもたちが救ったいのちはどれほどあったか」そんなことを回想していましたが、今も思えばカグヤも福岡への移動は子どもたちが取った行動と同じようであったのだと感じます。あの頃は何もわからずでしたが、あの行動を果たした意味はカグヤ史にとっても大きなことなのだと思います。もし、東京にいてそのまま仕事をしていたとしたら、今に至る実践のほとんどがないのではと思います。学び続け実践し続け、自分たちを直し続ける。あの時があったから今があるとはっきり子どもたちに言えるよう、実践を積んでいきたいと思います。
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「いったい、何に対する勇気なのか?!」それを見失わないように、そこをごまかさないように、そこから逃げないようにしなければなりません。何かあったときにその都度出す勇気というよりは、自分の信じる道を貫くと覚悟したときから、備えておくべきものかもしれません。
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周りを見て仕事をしていては気付かず、お客様とそこにいる子どもたち、そしてその園の理念、そしてカグヤの理念を見ていくことで本質であり続けようとする勇気が湧いてきます。今日も自分自身の初心を忘れずに勇気を出して行きたいと思います。
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「津波てんでんこ」は他人に構わず逃げろという薄情な絆を断つものではなく「津波てんでんこ」が可能な家庭であれ、という片田教授の話が印象的でした。その時の判断ももちろん大切ですが、その場限りでそれを忘れてしまうのではなく、むしろ日頃の自分たちの生き方が問われていることを感じます。防災ではなく生き方の教訓としてこの教えを大事にしていきたいと思います。