本来の家

家というものを考えるとき、民家とは何かとそれを大きく観てみると一つの考えが出てきます。その考えは木々や植物のようにその土地に根付いているということです。

本来、家は動くものではありません。その土地に根付き、その土地の上に建ち、その土地に息づいていきます。その土地にあるものを私たちは故郷といい、懐かしくそこにいるだけで不思議と落ち着きます。

古民家甦生を実践していると、樹齢の長い大樹の存在を身近に感じます。

大樹は土の中でしっかりと根を張り、土の中に様々な菌類や虫たちの家を形成します。長い年月をかけてつくられたその土中の家はまるで生き物たちの楽園になります。生き物を守り育て、その生き物が何度も何世代もいのちの廻りを繰り返せる場所、それが本来の家の役割でした。

今の家は果たして本来の家を為しているのでしょうか?

私たちは自然の生き物から家を学びました、その家はその風土と密接であるのは土の中とつながっているからです。最初の竪穴式住居にはじまり日本建築はすべて土と密接に関係しています。

日本人のアイデンティティが失われてきているといわれる昨今、本来の家とは何かということをもう一度考え直す時機が来ているように私は思います。

民族の家、その民家には永年大切に守られてきた暮らしがあります。その暮らしは、風土の教えや風土のいのちと切り離されることはありません。

すべての生き物たちの家を保証する上にはじめて本来の家があることを忘れてはいけません。

引き続き、本来の家の形を学び直していきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    家族が共に過ごす場所が家ならば、それは場所を選ばずどんどん高層階に住む場所が移っているように思います。ただ、同時に地面からは離れ、いのちとはかけ離れていることを思います。動物たちは土の中や木の上、中には海底、それぞれに住まいを持っていますが、そのどれもが自然と密接であることに気づきます。便利になるほど、都合がよくなるほどに離れっているものがあることを自覚し、家とは何かを深めていきたいと思います。

  2. コメント

    田舎の一軒家にいると、その風土とともに暮らしていることがよくわかります。そこには、代々の歴史もしっかり刻まれています。しかし、マンション等に住むと、風土という感覚がなくなってきます。人が変わる都度、内装も変わって、歴史はありません。本来の「帰ってゆっくりする場所」から、一時的な「仮宿」になってしまっているようです。「暮らす」ということは、もっと根を張った永い生き方のことかもしれません。

  3. コメント

    今は柱を鉋で削ったりすることも、方角や日照に合わせて木々を配置することもなくなって来ているのかもしれません。働くことと自然とが離れて来ているように、暮らすことと自然も離れて来ています。米、味噌、梅、納豆、これらの実践に随分と助けられているように思います。これからも大切にして行きたいと思います。

  4. コメント

    人間の、人間による、人間のための家、コンクリートジャングルの中にいると人間の存在しか感じなくなりそうですが、環境が繋がりの意識を薄れさせているのだと思えます。それでも目の前の現実はここにあり、この世界からどう変えていくかが問われていることを感じます。復古創新、その意味を問い続けていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です