ちょうど今から一年前、島根県石見銀山の帰りに郷里の古民家に立ち寄ったことで古民家甦生がはじまったのを思い出します。生きていると事あるごとに自分を育ててくださった故郷、自分を見守ってくださった風土、そして歳を経れば経るほどにその有難さに頭が下がる思いがしました。
私たちは当たり前に空気を吸い、当たり前に水を飲み、当たり前に食べ、当たり前に住まいを得ては生活していますがそれはその土地の風土がなければ実現しないものです。その土地の空気、水、環境は先祖代々大切に守られてきたもので、その恩恵を享受され私たちは安心して仕合せな暮らしを継続していくことができるとも言えます。
今では簡単に移転や引っ越しをして、遠くの土地に移動していきますが古来は自分の住んでいる場所は周りと共生関係を結びいのちの廻りを繰り返した処ですからその場所で循環をし好転し続けるように自分自身も協力して場所を活かし続けていくのが人の道です。
この一年、古民家甦生を通して郷里の誇りや自信を感じました。さらに、それまでに刻まれた歴史や物語、そして今に至るまでの偉大な恩恵を感じることもできました。自分たちのルーツを持つというのは、歴史を持つということでもあります。今の自分を知るには、その自分の歴史を知ることだとも言えます。自分の歴史と郷里の風土は切り離されることはありません。その偉大な恩恵を感じるとき、私たちははじめて暮らしの大切さを学び始めます。
暮らしというのは、現代では何か人間社会の生活のみで語られることがありますが本来は風土と一体になってはじめて暮らしは実現します。その暮らしは、それまでの歴史を伴い、生活文化としての暮らしを言うのです。文化を切り離しての生活は暮らしとは呼べないのです。その文化は風土自然と一体になっています。
私が恩返しで実践をはじめた民家の甦生は、暮らしの甦生でもあります。そして同時にそれは歴史の甦生、風土の甦生、自然の恩恵に感謝して生きる私たちの心の甦生です。
いよいよ古民家甦生も二年目に入りますが、ご縁を大切にし御蔭様のお助けに感謝し、初心を忘れずに実践を高めていきたいと思います。
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1年がもう経つというのは本当に早いことです。それでいてこの1年でどれだけの出会いと心の充足感を頂いただろうかと思います。自分の手を使って直したり、様々な道具に触れ想いを感じ、一つひとつにいのちが宿っていることを実感しました。自分に何ができるだろうかと、自分にできることを一つでも返していきたいと思うようになったり、たくさんの方が同じ方向を向いて大事にしていきたいと願うような想いがこんなにも拡がっていることに驚きが強いのですが、それだけ大切なことに取り組ませて頂いているからこそ、感謝を忘れずに大事にしていきたいと思います。
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「一所懸命」とは、「昔、武士が賜った一か所の領地を命懸けで守り、それを生活の頼りにして生きたこと」に由来した言葉だと言います。それは、その土地の土壌や気候風土に生かされ、ときには台風や地震、あるいは旱魃や大雪といった自然と闘いながら共存してきた歴史でもあるでしょう。そこには、その土地を守り抜いた先祖の智慧が、生活文化として代々継承されています。その同じ風土を生き続けていることを自覚しておきたいと思います。
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島出身の方が言っていました。大変な時代の中でも、ある畑の人が唄をうたえば必ず隣の畑の人が唄を返してくれたのだと。幸せなことも苦しいことも芽出度いことも皆で家族のように唄い踊り受け継がれてきたもの。そんな風に純粋に触れていいと思えるものはどこか自分自身にもルーツがあるからなのだと思います。古民家での体験も同じく、自分の中に眠っているものを呼び起こしていきたいと思います。
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暮らすとはなんだろうかと考えることがとても増えました。暮らしの中にある自分の振る舞いや自然との距離感がそのまま自分自身を作り上げているということを思うと、どんな人間になりたいかはどんな暮らし方をするのかという事となるのだと、聴福庵での暮らしを通じて、この一年で感じています。これからまた一つ、新たな暮らしが待っているからこそ、地域や文化、一年で体験したことなどを踏まえて、暮らしそのものを考え直していきたいと思います。