古民家甦生を続けていくと古い道具を用いますから技術や感覚は次第に磨き直されていきます。こちら側の都合では道具は使えず、道具の特性や弱さ、また持ち味や使い方を扱いながら学び直していきます。
慣れていないとすぐに壊してしまい、さらに道具もまた活かされないので生活や暮らしそのものを便利なものから不便なものへと価値観ごと転換していく必要もあります。特に今のように水道やガス、電気、家電製品や空調器具がある世の中で敢えて不便に戻すというのはとても勇気がいるものです。
先日もトイレは昔のものに戻すのか、風呂は、洗濯は、冷蔵庫はと矢継ぎ早に質問されました。全部排除してしまえば、それは山奥の隠者のような生活になるのではないかというのです。
確かに目的が、先祖返りのように過去に戻ることならばそうなるかもしれません。しかし時代は過去に戻ることは不可能であり、常に今を刷新し続けていくのが生きるということです。温故知新も復古創新も、決して江戸時代や縄文時代などに回帰しようとするのではなく、何を変え、何を変えないかをその時代の人たちが取捨選択してそれまでの初心や大切な伝統が守られるように継承していこうとするのは子孫である私たちの使命でもあります。
私の古民家甦生も、電気も水道もガスも空調設備もあります。それを全部排除しようとか排除しないとかいう考え方ではなく、長い先を観て大事なものは守り続けようということなのです。
そのためには、その近代に発明された便利なものも活かそう、そして昔から連綿とつながっている文化や智慧も活かそうという、古新を融和融合し、今の時代ならどう暮らすかということを提案しているものなのです。
子どもたちには選択肢が必要です。そしてそれが多様性でもあります。その多様な選択肢は、みんな新しいものに右へ倣えではなく、こういう選択肢もあるという生き方も見せてあげる必要があります。それは極端に右か左か、上か下か、富か貧かではなく、かつての古き善きものを取り入れながら今に活かすという時中した暮らし、生き方を感じてもらいたいということなのです。本来、どちらかに偏らないというのは中心を捉えた中庸でもあり、これはどちらかに偏るよりもずっと難しい挑戦なのです。
私が実践する古民家甦生は、まさに今の時代に古の智慧をどう活かすかという事例を伝道伝承しようとするものです。
引き続き、何を変え何を変えないかを自分の生き方を通して試行錯誤していきたいと思います。
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「今の時代に古の智慧をどう活かすか」。それは日々の暮らしの中でも考えていなければ、古民家へ行った時だけではまだまだ体に染み付いていないのだと感じます。先日、来庵頂いた竹虎さんのブログを読んでも竹だけにフォーカスしているのを見ると、きっと寝ても覚めても竹のことを考えているのだろうなと思うと、何のために実践をしているかを繰り返し振り返っているようにも感じます。普段の暮らしがこれからを創っていくと思うと、日々の積み重ねを大事にしていきたいと思います。
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一つひとつのやり方やその道具にはいろんな「価値」があります。しかし、時代の要請で、特定の価値観が求められ、それに合わないものがどんどん排除されるということが続いてきました。消えていったものの中には、優先された価値以外にも、人間を豊かにする価値がたくさんあります。多様な価値観が認められる時代は、そういうものを見直すチャンスです。「時代の都合」ではなく、「価値そのもの」で判断できるようになりたいものです。
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道具を使ってどんな暮らしを営んでいるのかを考えると忙しい現代でも味噌を一年寝かせたり、梅干しを何年も貯蔵したりと、以前の自分には考えられなかった感覚を今は感じられていることに気付きました。忙しい現代だからこそ、大切にしていくものがあるのだと思っていますが、やってみないと、営んでみないとわからないものだとも感じます。1つずつ、新たに挑戦していきたいと思います。
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「何を変え何を変えないか」それは秩父夜祭の一件からもリアルに伝わってくるものがありました。「変えない」とは文字通り変えないのではなく、むしろ全てが変化していくからこそそれは「変え続ける」という意味でもあるように思えます。懐古ではなく創り生み出しているのだということを忘れないようにしたいと思います。