変化というのを考えるとき、人は新旧や古今という比較によって理解するものです。時代は常に変わり続け、諸行無常、この世には変わらないということがないのだから変わっていくものに柔軟に対応していかなければ時代に取り残されてしまうものです。
この変化とは、自然の摂理でもあります。例えば、太陽も地球も、そして自然も古くなることはありません。常に新しい状態を維持していくために、常に変化し続けます。
昨年咲いた桜の花が今年咲いたからといって古いとは誰もいいません。桜の花は毎年春に咲いていますがその花は新しく入れ替わっていくからです。つまりは同じ花ではありますが同じ花ではないということです。
これは組織においても言えるし、自分自身の価値観においても言えることのように私は思います。
かつての時代は、ある花が咲いたのですがその花は今咲いている花と同じではありません。今の花は今の環境にあわせて咲き始めなければなりません。毎回、新しい花を咲き続けるからこそ花は古くなりません。同じ場所で同じ土地で同じ種でといったとしても、毎年自然の変化は微細に壮大に繰り広げられますから私たちはその都度、生死を繰り返し新しくなり続けていくのです。
おかしな言い方ですが、新しいままでいるというのは生き続けることではなく死を繰り返していくということです。
何をもって死とするか、それは今に合わせてやり直すことです。やり直すというのは、もう一度今なら何が本質を維持できるかを考え抜き柔軟に変え続けいくことです。
自分を守り周りを変えようとするのをやめ、本質を守り自分を柔軟に変化させ続けるということです。自分が正しいということに固執して頑なに自分を守っていたら不自然なになります。それは桜が花を一年中咲き続けているようなものだし、冬に咲いたり夏に咲いたりしているようなものです。
そうではなくこれは本質であるか、本物のままかと常に問いを持ち続けてこれは自分が間違っているなと思ったらすぐにそれまでのものを手放して今まではとは異なるやり方でやり直していくことのように思います。
結局、変化にもしもコツがあるとするのなら今までとは違うパターンを試していくこと、試行錯誤して新しい方法に取り組んでいくこと。きっとまた同じだと思い込むのではなく、こういうパターンもあったのかと好奇心で楽しく変わっていくことのように思います。
自然に生きるあの植物たちや昆虫たち、すべてのものは周囲の環境に対して試行錯誤を繰り返しているから古びれません。みんな変わらないものはないと自覚しているから常に試行錯誤を楽しんでいるのです。それがすべてのいのちの心の姿かもしれません。
自分がせっかくこの世に生まれてきたのだからこの人生をどう楽しもうといった純粋な心、いつまでも面白いと感じる好奇心、そういうものを試行錯誤し磨き続けることが変化と一体になっていくことのように思います。
今度は何を試してみようかと、その実験の手を緩めず実践を楽しみたいと思います。
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確かに、「去年の桜は古く、今年の桜は新しい」ということはありません。そういう意味では、咲き続けることに執着しないように注意しなければなりません。いつでも、次のことが試せるように、常に自分をフリーにしておきたいものです。そのためには、やはり「執着」を放さないといけませんが、「どんな執着が自分の自由を奪っているのか?!」を自覚しておきたいと思います。
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一言で桜と括って見ていましたが満開と言われる中でもすでに花を落としているものや、もしかしたら咲かせられない蕾もあっているのかもしれません。1年に一度、この時期上を見上げたくなる、外に出て見に行きたいと思わせるのには、いのちが花開いたからなのだと改めて感じます。同じ自分でも来年の自分は今とは同じではない、そう変化し続けられるよう試行錯誤を楽しんでいきたいと思います。
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過去の結果から先を観てしまえば現実はそのようにしかならないのかもしれません。だからといってゼロベースはリセットとは異なり、積み上げた今までのいわゆる成功失敗や禍福に導かれた「今」をそのままに生きることのように思えます。いただいているものだからこそ「これがいいのだ」と、過去でも未来でもなく今を生きたいと思います。
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お客様から正見と傾聴が同じであると教えて頂きました。いつも変化し続けるからこそ、過去や自分の価値観で見たりきいたりしない。それをしてしまうから、その後が狂ってしまうとお聴きしました。正見と傾聴。どちらも今を豊かに、あるがままに受け取る大切な実践として深めていきたいと思います。