昨日は聴福庵の内装に用いる和紙をつくる伝統職人井上賢治さんの工房にお伺いしてきました。この方は福岡県秋月で130年以上続く老舗和紙製造の4代目になられます。かつては20軒以上あった和紙処も今では井上さんの和紙処のみになったそうです。
井上さんは幼いころから祖父や父の後ろ姿から和紙作りを学び、一時は若い時は家を飛び出して他の仕事に就いてから戻ってこられたそうです。外に出ても結局は紙に関わるお仕事をされていたそうですが父の背中を見て家業を継ぐ覚悟を決めたというお話もいただきました。
手漉きの和紙の工程を丁寧に案内してくださり、私自身も手漉きで和紙を製作する体験をしてきました。
手漉きの和紙をつくる工程をすべて体験して気づいたのですが、大変な工程を手間暇かけてつくられます。やっている最中は何か生きているものを育てるような感覚で一つ一つの工程をまるでお漬物を育てるように手塩にかけて大切に接しています。手漉きの工程では、ひいてはまたおしよせる波のように水を行き来させ美しい砂浜のような紙を漉いていきます。
最初は大変な作業だとしか感じられなかったことも、竹の簾を用い手で丁寧に漉いていく体験をすると心が清く磨かれ、また暖かく豊かな心が醸成されていく気がします。この日本の伝統の和紙には、いのちを扱い、いのちを伸ばそうとする、自然を尊敬して自然を活かし切るという日本人の精神が息づいているように感じました。
伝統的な日本の和紙は、世界一長持ちする紙と言われ奈良の正倉院には1260年前に作られた和紙が当時と変わらず残っているといいます。和紙は木の繊維を残したまま、それを絡み合わせて作るため丈夫さがあり自然素材だけを使うので化学薬品で無理にくっつける必要もなく1000年以上たっても劣化しない。つまり1000年持つというのは、そのものが1000年生き続けるということであり、楮が1000年のいのちのある存在に転換されるといっても過言ではありません。
古民家甦生を通して、最低でも100年、通常なら1000年単位で物事を観るということを感じることが増えてきました。そして家が1000年続くのなら、その暮らしの道具たちもまた1000年の風雪に耐えるものである必要があります。
私たちの先祖は、常に1000年先を見通して1000年生きるものをつくってきたのかもしれません。あっという間に簡単に捨ててゴミになるような安易な工程は何一つ伝統のものづくりの佇まいの中にはありません。
井上さんは「紙漉きとはできあがるまで育てる、人生そのもの」だと仰います。
もう一度、かつての日本人の精神を宿したものを感じて自分たちの民族の誇りや自信を取り戻していきたいと祈るばかりです。子どもたちに譲れるもの、譲るものを間違わず自分の生き方、人生そのものから見直していきたいと思います。
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映画『繕い裁つ人』を観ていたら、「一生添い遂げられる洋服を作りたい」「年とともに変化する体型に合わせて服を作るのが仕立て屋の仕事」というようなセリフがありました。職人さんの仕事ぶりは、言葉に生き方が表れていることを感じます。では、自分はと思った時、仕立て直して受け継がれるような生き方には憧れるものがあります。暮らしは見つめ直すと様々なことを教えてくれ、何かを大きく変えなくても、智慧は暮らしに息づいているのだと感じます。自分自身が憧れる生き方を自分自身が少しでも近づいていきたいと思います。
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日本の伝統的なものづくりは、すべて「いのち」を新しい形に生かし直しているのでしょう。「いのち」を扱うものは、その工程を飛ばしたり、勝手に変えたりすることはできません。それは、自分が作っているのではなく、「いのちの転換」を手伝っているにすぎないからかもしれません。先人たちは、「あらゆるいのちを永遠に生かす方法」を、「いのち」と素直に向き合いながら学んできたのでしょう。
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今、このような時代に日本の伝統的なものづくりに携わる人は、モノではないものを観てそれに臨んでいるように感じられます。1000年先の世の中はどのような世界か想像すらつきませんが、カタチではなくその背景にあるものの方をよく観て感じて自分自身もまたそれを遺していく一人であることを忘れないようにしたいと思います。
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自分の持つ暮らしの道具の時間軸に1000年で見ているものがあるだろうかと振り返りましたが砥石しか見つかりませんでした。味噌だるや梅干は100年先を見ることは可能かもしれませんが、暮らしの中にあるほとんどが数年の目線です。この悠久に見える時間軸の中に、身を使い心で感じる時間を増やしていきたいと思います。