時代の価値観というものは、時の流れに合わせて変化していくものです。例えば、縄文時代の土偶などで表現される美人と江戸時代の浮世絵にかかれる美人、また明治大正のころの美人と現代ではその美の定義もまったく異なっています。同じ土地であったとしても、時代と共に価値観も変化し人間の意識も変化するのでその美人の定義も変わっていきます。
歳を経ていくと感じることですが、自分は変わっていないままでも周りは変化していますから自分を変えていくか、周りが変わらないようにと保持していくか、人間は生き方を選択しているとも言えます。
自分を変えていくというのは、自分の価値観のズレに気づきそれを自ら受け容れて素直に改善していくということです。それは日々を真面目に頑張ることではなく、日々の体験を深く味わい心を優先して楽しんでいくことでできるように思います。
変化とは何かを大きく変えることを変化と思っている人がいますが、実際の変化は自然の緩やかで大きなもののようにじっくりとゆったりと動いていくものです。目に見えてわかりやすい変化は、急なスピードで下っていく滑り台やジェットコースターのような面白さもありますが、本当の変化は変化していることにすら気づかないような自然の壮大な変化のように目には見えにくいものです。
だからこそ日々の実践を大切にし、毎日の小さくて微細な変化を捉えては内省をし少しずつ変化成長させ続けていくことで自然と同様に自分を変化させていくことができます。
自然を感じる心、自然を味わう心、自然と共に暮らしていく中で私たちの先祖は変化し続ける智慧を維持してきました。自然と一体になり共生する仕組みは、自分自身の心をいつまでも純粋に保ち、心の穢れを洗い清め、常に初心で新しいままで居続け変化そのものになり已まない生き方だったのでしょう。
心を失い、心を亡くし、心を優先せず、頭ばかりを働かせていたら変化することの意味もまた変わってしまいます。本当の変化に順応していくためにも、常に心を優先して実践と内省を味わう日々を丹精を籠めて一期一会に歩んでいきたいものです。
二度とない一日、二度とない人生、二度とない出会いの日々だからこそ流さず流されず心のままに味わい尽くしていきたいと思います。
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地球の歴史から見たら自分が生まれてからの時間なんてほんの一瞬なのかもしれません。ただ、それでも同じ1日などなく少しずつ変化していることを感じます。以前は一を聞いて十を知るというのはすごいと思っていました。ですが今は頭で先に理解することよりも、一を聞いて一をやってみてどうかを感じることで本当の意味で知ることがあると思っています。頭で理解することよりも一つ一つの体験を味わうことを大事にしていきたいと思います。
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心にわだかまりなどがなく「自然体」でいられると、「自分の方のズレや歪み」がよくわかります。それに気づくことさえできれば、「変える」ことも可能になります。しかし、一所懸命「目標を追っているとき」などは、成果にとらわれたりして、自分が「ズレていること」になかなか気づきません。また、ズレを教えてくれる「人の忠告」も届きません。気づかないうちに「少しずつズレてしまっている」ということのないように日々点検したいと思います。
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ある人が時間というものについての気づきを教えてくれました。忙しい時は時間が無いと、それに追われるような気持ちにもなりますが、時間によってゆっくりと変化し育っていくことが出来るのだと思うと、時間に対してもまた不足ばかりを嘆くのではなく、ありがたいという感覚で受け取っていくべきものなのだと感じています。
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心無い仕事をしていないかと振り返ると、忙しさにかまけて自分の荒いところが出てきているときがあることに気づきます。それでも相談したり、対話できる仲間がいることで立ち戻るきっかけを頂いたりしていますが、一人でいては中々この日々の小さな変化ということを積み重ねることが難しいと感じます。たくさんの見守りの中で、仲間や理念のお陰で積み重ねて居られている事実と、本当の素のままの自分自身も受け入れつつ、積み重ねていきたいと思います。