また田植えの時期が近づいてきました。毎年、この時期に苗を育て本田に植えますがどのような廻りをいただけるのかと思えばいろいろと感じることがあります。
当たり前すぎて見過ごされることが増えましたが、自然には四季があります。そしてその四季は毎年、一年で繰り返されまた同じように生き物たちは生死を繰り返して古い身体を捨て新しい身体にしていきます。
今まで続いているということは、何度も何度も生死を繰り返し種を蒔きその種を育て続けた志が生き続けているということです。
私が取り組む会社のお仕事も自然農もお漬物も古民家甦生もすべては子ども第一義の理念から派生し実践されているものです。これはご縁を通して自分自身の志を維持することであり、先ほどの四季のように廻り繰り返される中で先人たちの心、その志を継いでいるということです。
周りからはなかなか理解されることもなく、おかしなことをやっている変人とか、多趣味な人と思われていますが私は志を継ぎ、志を遂げるためには同じように守ってきた先人から種を受け継ぎ、その種を蒔き、自分の世代でそれを育てていのちを盡し、また同様にその種を育てようとする次の志の人を待っているだけなのです。
そのうち、一人二人と志を継いでくれる人が顕れ私の今回の四季は何時かは閉じる日が来るのでしょう。たとえその閉じる日が来たとしても、その志を継いでくれる人があるのなら四季の中で先人の志や私の志は永遠に生き続けることになります。
ちゃんと次が顕れるのは自分を観ていればすぐに自明します。志は永遠であり、自分の代を恥ずかしくないように四季の廻りの中で一生懸命にいのちを昇華していくのみです。
四季の廻りの中で野性の生き物たちはみな、四季の廻りを繰り返す中で強くたくましく光り輝いていきます。その生き物たちを見習い、私は私のなすべきことをただ真摯に遣り切るだけです。
引き続き、志を優先し事に当たっていきたいと思います。
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世の中は、直線的ではなく「螺旋階段を上がるよう」に展開していると言いますが、時間も同じように、「循環しながら」進んでいきます。日、月の循環を繰り返しながら、季節が廻るというこの「いのちの進化の仕組み」のなかに「継続と永遠の智慧」が組み込まれているのでしょう。「永遠のいのち」を信じて、素直にそして丁寧に、志を継いでいきたいと思います。
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先人の生き方に触れ心が震えるように、直接その人に会えることはなくても心を支える存在になるのはすごいの一言です。生き方が今だけでなく後世にも繋がるものになると思うと、下手なことはできません。そして、年々たくさんの人との絆も深まっていくようでそれもまた嬉しくもあります。自分一人の生き方よりも仲間との生き方・働き方を伝えていくことが必要になってくるのかもしれないと感じます。
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自分の志がまいた種がどんな形で芽を出すのかはわかりませんが、今起きていることを見れば自分が蒔いた種が何だったのか、またいただいている機会が何なのかも見えるように感じます。頂いたものから学び、自分を改善したり、磨いたりしていく事を何よりも大切にしていきたいと思います。
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四季という言葉で春夏秋冬をあらわしますが、実際にその境目というものは定まっておらず追えば追うほど今日に今に繋がって来るのだと思います。度重なる積み重ねの上に人生というものがあるのだということを忘れず、永い目を持ちながら目の前の一瞬一瞬を大事にしていきたいと思います。