美の原点~道統を継ぐこと~

先日、襖を深めている中で京都にて創業寛永元年(1624年)京都に創業し、江戸時代より続いてきた日本唯一現存する唐紙屋で唐紙師のトトアキヒコさんとお会いするご縁をいただきました。

伝統建築の中にある土壁や障子と共にあるこの襖には、単に間仕切りとしてあるものだけではなくそこには伝統の精神と共に紙の芸術性が籠められているようにも思います。400年の歴史がある唐紙には襖の持つ意味やその価値、襖そのものの本質を語っているように感じました。

今回、見せていただいた数百年も前の版木には先人たちが自然から写し取ったいのちの姿が文様にされ深く刻み籠まれていました。その版木を触った感じからは、その歴史の中で大切に守り抜かれてきたぬくもりやいのりが感じられ、単に現代のように機械でコピーやプリントではなくまさにそのプロセスに「いのちの移し替え」を行っているような感覚を覚えました。

今も変わらず唐紙師が版木の表面に雲母・胡粉と呼ばれる絵具を付け和紙や鳥ノ子紙に柄を合わせながら一枚一枚、手の平で文様を写し出す様子には先人たちが如何に美しい暮らしを味わい尊んできたのかが伝わります。さらにその「文様」についても目から鱗が落ちた思いで、自然の風景を心で読み取る先人たちのいのちに対する姿勢、畏敬の念を模様そのものから感じ頭が下がる思いがしました。

唐長師トトアキヒコさんのお話をお聴きしていると、私の取り組んでいる理念、子ども第一義、古民家甦生に取り組む理由と同じ部分が多く、如何に伝統を今に昇華して新しくし譲っていくかということに試行錯誤し挑戦を続けておられ深く共感しました。

伝統が続くというのは、続けていく人がいるから成り立つものです。失われていく文化の中で、祖先からの確かな火を見つめ継いでいく姿に改めて子どもたちの懐かしい未来に譲りたい志であることを実感しました。

最後に、唐紙師のトトアキヒコさんの言葉です。

「唐紙は、祈りの風景です。人々の祈りや願いの物語がこめられたカミさまの宿る美しい風景を、ぼくは唐紙と呼びます。」

人々の祈りや願いの物語がこめられたカミさまの宿る美しい風景・・・まさに私が遺し譲りたいものもこの一点の真心に尽きます。

祈りと願いの物語を美の原点に据えて、引き続き真善美の調和した道統を継ぎ、子どもたちのためにも初心伝承の志を命を懸けて取り組んでいきたいと思います。

 

  1. コメント

    あの襖を見ていわゆる襖とは感じません。それこそアートであり、場所を仕切る道具というよりも、400年という歴史のいのちを感じるため空間をデザインしているように思います。今の時代だったらどう使うかを思った時、各分野のプロに仕立てて頂いたものをどうプロディースするかを問われているように感じます。どれを取っても本物だからこそ、自分自身がもっと学びを深めていきたいと思います。

  2. コメント

    数百年も前の文様が、トトアキヒコさんの手にかかると、今なお「美しく」「新しい」というのは本当に不思議な世界です。それは、誰かが「つくったもの」ではなく、人々の願いを宿して「生まれたもの」だからでしょう。版木に刻み込まれた「いのち」が、トトアキヒコさんの手によって「生き返る」というか「新しいいのちとして生まれる」のは、願いを込めて一つひとつを生み出しておられるからでしょう。「伝統」というものの本質を見たような気がします。

  3. コメント

    祈りには信じて疑わない心があるのだと学びました。自分の疑念を晴らすような祈りは少し異なるのかもしれません。信じているから、信じたように見えてくる。信じた心で行動できる。子どもたちを見る眼差し、仲間を見る眼差し。私自身はまだまだ程遠いですが、聴福人として大切にして行きたいと思います。

  4. コメント

    真善美と言われますが、行いそのものよりもその背景にある想い、願い、祈りのことを表しているように思えます。どこまでそれが観えるのかは、自分自身の心がどこまでそれを大事にしているかによるのだと思うと、相手の行いを観て感動した時は、自分の心の中にあるそれを発見した時でもあるのかもしれません。

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