先日から古民家に使う灯明の準備で、灯篭と灯明油を深めていました。この「灯り」というものは、電気の普及でほとんどが消失しましたがほのかにゆらめき温もりを与えるこの和の「灯り」は時代を超えて心を揺さぶるものがあります。
灯りといっても一概に全てのものを灯りと言えるものではなく、その灯りにも種類があります。例えば、電気の灯りと、蝋燭の灯り、石油系の灯りと、松明の灯りや和蝋燭や和灯明の灯りはその「灯りの質」が全く異なります。
陰翳礼讃にあるように、私たちの言う日本的な和は「空間」を指します。この空間をどのように演出するか、そこにおもてなしの心があります。手間暇をかけて庭を育て、伝統的な暮らしの道具に囲まれ、風土が醸成した古民家に住めばとても心は落ち着きます。その落ち着きの演出としてこの灯りは、闇の空間を活かした最高の道具なのです。
西洋のような上から照らす照明に対して、日本は全体を緩やかにやんわりと温めます。照明とは光を照射するというイメージですが、和灯りは光で周囲を温めるといううイメージです。
この灯りは囲炉裏の炭火に似ていて、その灯りの持つぬくもりに心が包まれ深く癒されていくものです。これは、私の観ている「火のぬくもり」であり、今の時代にはこの「ぬくもり」が内省を促し人々の心に優しさとしあわせを取り戻す場を創造するのです。
聴福庵が「ぬくもり」にこだわるのは、この和の暮らしを甦生しようと試みているからです。そこには必ず火があり、その火をどのように演出するかが何よりも重要になっています。
今回、玄関に用いる灯明油を用いた和灯りは来た人たちの心を深く癒すように思います。古の暮らしの灯りを研究することは和のぬくもりを深めることに似ています。
引き続き、様々な灯りを深めつつ、その灯りから心を磨き用い方を研究し実践を積んで和のぬくもりとの出会いに近づけていきたいと思います。
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燭台、行灯、提灯など灯り照らす道具の豊富さに、現代よりも楽しんでいたのではと感じます。今よりも夜はきっと暗く、そして本来の夜の時間が流れ、影に親しむことも多かったのだと思います。以前、宿泊させて頂いた古民家に陰翳礼讃が置いてあり、手に取って読んでみましたが実感が湧きませんでした。ですが、聴福庵で過ごす夜の時間は日中とは一変し、寝起きする中で感じ入るものがあります。言葉が先行し知識で分かった気になりやすいですが、暮らしの実体験は部屋以上に自分自身の心を灯すと感じます。
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電灯は「闇」を消してしまいますが、「蝋燭」や「行燈」等の和灯りは、「光と闇」との共存空間を作り出します。その共存感が、「静けさ」を保ってくれます。また、電灯のように部屋全体を照らさず、個々を照らすことで、一つひとつの関係を大事にしてくれています。その空間には、丁寧に照らし合う優しさがあるようです。
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聴福庵で明け方に照明をつけた際の眩しさが印象的でした。日頃、その照明の中で生きている訳ですが、確かに照明は闇を丸ごと掃うような眩しさですが、囲炉裏の火などの灯りは闇をも活かしているような調和した空間がそこに広がっていることを感じました。照らし方一つでも奥深さがあるものと、深く観ていきたいと思います。
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光に含まれるぬくもりのようなものが実際には存在するのだと感じます。たき火をしたり、炭を見ていたりすると心にぬくもりを感じます。その人の心に響くもの、その人の心に灯りをともせるもの。そのぬくもりは自然なものに多く含まれているように感じます。ぬくもりを感じられる光や灯りであれるように、自分自身も不自然な働き方を見つめていきたいと思います。