目の保養

昨日、自然農の畑のオーナーでいつも見守ってくださっているご高齢の方に聴福庵に来ていただきました。かねてより古民家甦生のお話はしていたのですが聴福庵をゆっくり見ていただくことははじめてでお話をしながら改めて生き方と働き方が変わってきたことも実感し有難い気持ちになりました。

聴福庵を見終わってからご自宅までご一緒するとここは見ものばかりだとしきりにおっしゃられ、最後に「目の保養になった、ありがとう」と感想を仰っておられました。きっと美しいものをご覧になったのだと感じ、さらに有難い気持ちになりました。

この「目の保養」という言葉はとても懐かしく、私の心にも深く響くものがありました。

日本語俗語辞書によれば「目の保養とは目に栄養を与えるということだが、目薬をさしたり、目の健康に良いことをするわけでなく、目を通して心に栄養を与えることで、美しいものや珍しいものを見て楽しむことをいう。また、そういった見て楽しめるものをさす。目の保養の対象は美術作品や風景といった一般的に美しい、珍しいとされるものに限らず、逆に一般には見た目が不快とされるものであっても、それを見て心が安らいだり、楽しめたりする人にとっては目の保養となる」と書かれています。

「保養」とは心身を休ませて健康を保つことであり、心が落ち着いたときに安らぐ表現であることに気づきます。目を通して心の栄養を得たという意味にもなります。

一年前を思い返せば誰も住んでいない主人のいなくなった家の傷みはひどく、柱もあちこち傾いて今にも壊れそうだった古民家がこれだけ人の心に安らぎを与える場所になるとは思わず、今では本当にありがたい場をいただいたと深い感謝の念が湧いてきます。

この心が落ち着くや心が安らぐ、心の栄養というのは懐かしい故郷に帰った時に感じる心境です。つまり帰ってきたという実感、懐かしいものに囲まれたという安心感、これを心は感じ取るのです。

古いものは決して単なる古いものではなく、悠久の歳月をともに支え合い暮らしてきた大切なパートナーです。古くなるから邪魔になり捨てるではなく、何度も磨き直せばその新たな発見と美しさに気づき、いつまでも一緒に生きていきたいと願うのが本来の心身の姿です。

ここ数十年で日本人の価値観も大きく変化しましたが、変わらないものも確かに心の中に生き続けて遺っています。

引き続き、懐かしい未来を子どもたちに譲っていくために感謝のままに志に生き、実践していきたいと思います。

  1. コメント

    1年余りでのこの変化には驚かされるものがあり、ちょっと見ない間に子どもが大きくなっているように、どんどん変化していくのを感じます。聴福庵の名に似た聴風庵という所を訪れる機会がありましたが、そこは風を感じるような場所でした。聴福庵も来庵した方が様々なことを感じる場になっていることに嬉しく感じます。この変化も大事に残していきたいと思います。

  2. コメント

    最近、聴福庵に来られた方の感想をお聞きすると、そこには共通した「安堵感」「安心感」があるようです。それは、聴福庵の磁場が、どんな人をも包み込むだけの時空間を持ち始めたということでしょう。一般の方だけではなく、プロの職人さんをも魅了する磁場になっているのは、元々の磁場が良かったことに加え、それをきちんと引き出すだけの手入れと思い入れができているということではないでしょうか。

  3. コメント

    オーナーの方が何をご覧になったのか、きっと想像出来ない程に深いものをご覧になったのだと思います。子どもには子どもの、ご年配にはご年配の、そして人それぞれがそれぞれに心が反応するのは、やはり聴福庵を通して行っている実践が本物だからなのだと感じます。本物を観て感じる心を養っていきたいと思います。

  4. コメント

    自分自身の目の保養も、ありきたりの日常の連続だけと感じるようでは、自覚すらままなりません。逆説的には自分自身の価値観の連続の中で、本心がよりにじみ出てくるのだとは思いますが、実際の人生で困ったり驚いた、窮地に陥ったりとそういった経験がなくては感じられるものの、感じられません。心の声を聴くという姿勢が、深みまで連れて行っていただけるのだとかんじると、浅はかにはしたくないと改めて感じています。

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