昨日は、自然農の田んぼに田植えを無事に終えることができました。もう7年経ちますが、毎回学び直すことが多く自然の奥深さには感じ入ることばかりです。土と水と光、そして風、その空間には人の手間暇が入ることによる場と和、そして間が発生します。
自然の仕組みというのは絶妙で、その時期時期に必要なことが周囲に自然発生するものです。気温ひとつとってみても、生育に必要な温度がそこにあります。私たちはその温度に従い応じて生き物たちの育つための手助けを少しすればいいだけです。
育てているのは自分のように錯覚しますが、実際に育てられているのは自分だと気づく・・・そういう自反自然する境地が自然農の面白さではないかと年々感じます。
私たちは自然の仕組みの中で、学んだことが実際の人生に活かされます。例えば、「待つ」という仕組みもまた他力を活かすという智慧となります。他には、「共生」という仕組みもまた利他により活かされるという智慧になります。
自然には一切嘘偽りもなく加工もなくそこには真理のみ存在します。
その真理に触れることで、自分自身が知識ではなく智慧というものを会得するのです。
自然から学ぶというのは、言い換えれば真理にのみ生きるということでもあります。自然から学んだことを実生活に活かせれば、その真理は人々の間で活かせる智慧となりそれが伝承されることで文化となります。
人類が創始以来より今まで続いてこれたのはこの自然の智慧を習得してきたからです。つまりその自然の智慧の習得があってこそ人類が今から後も地球上で存在し続ける唯一の道だと歴史を鑑みて感じます。
人間は何を師とするか、これは大切な問いのようにおもいます。なぜなら自然から離れた真理を智慧とは呼ばないと私は思っているからです。
引き続き自然に学び、自然から学び直し、子どもたちに大切な智慧をご先祖様たちが学び取ってきたように在るがままに伝承していきたいと思います。
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日本家屋は自然の素材があって暮らしが成り立つことを感じます。自然農から入り、発酵、古民家と学び続けるからこそ感じ入るものがあります。これが突然古民家からスタートしていたら、違ったものになっているように思います。自然に触れハッとする瞬間がこれまで何度かあり、そこで気づいたこと、手を動かして得る感覚は忘れがたいものです。自然からの学びを大事にしていきたいと思います。
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「本当の素直とは、自然の理法に対して、すなわち本来の正しさに対して素直であるということである」と幸之助さんは仰っていました。「自然から学ぶ」というのは、「なすべきことをなし、なすべからざることは絶対になさない」という非常に厳しい姿勢が求められます。それは、「直であろうとすること」によって「育てられることになる」ということでしょう。真の「素直さ」というのは、人からは学べないのかもしれません。
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昨日、きゅうりの種を子どもたちとベランダのプランターに蒔きました。何もせずに待つのと、場の条件を不自然に乱さぬように待つのとでは違うからこそ、なにを見て守るかが大切だと感じます。きゅうりの育ちも楽しみですが、きゅうりの育て方を一緒に調べていく中での家族側の育ちも楽しみにしたいと思います。
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この連休中は食を通して体の感覚の変化を体感していました。小さな頃から当たり前に行っている習慣はそれ自体を疑うことをしなくなりますが、人間も自然の一部、何が本当であるかはその素直な反応によって感じられました。感覚、体感したものから改めてものごとの本当のところを観ていきたいと思います。