昨日は、高校生たち4人に古民家甦生のお手伝いをしてもらいました。一緒に格子窓や外壁の板にベンガラ塗料を塗っていきました。その他には、庭の草刈りや掃除など一日をかけて暮らしの体験を行いました。
みんなはじめての体験だったそうですが、とても上手で手際よく、楽しそうに作業をする様子が印象的でした。今回は3日間ほど泊まり込みで体験してもらいましたが、古民家で子どもたちが生活を楽しんでいる様子に昔あったような懐かしい未来を感じました。
昔は資源も近くの枯葉や枝を拾っては竈の薪にしたり、草刈の草は農地の肥料にしたり、少しの無駄のない暮らしを心がけていました。経済には実質経済というものがあり、それは今のように虚構を繰り返し地球の資源の何十倍もの金額を動かすようなものとは異なります。
本来ないものをあるの物のように扱うことで、本来あるものの価値が失われている時代です。このような時代が永く続くことは考えにくく、どこかで必ず破たんしその幻想が失せ人類の価値観が転換される日もまた近いようにも思います。
その時、どれだけ先を歩んでいるか、どこまで見通して今に取り組むかは、今の時代を生き抜くリーダーたちの課題であろうと思います。子どもたちが体験を通して、世の中をどう観てどう感じ、多様な選択肢の中でどれだけ本物や自然に触れることができるか、これが未来の日本のためには必要であろうと私は感じます。
実際は、地球は何も変わっておらず虫や草、自然の生きものは何千年も同じように繰り返し巡りを続けていのちのバトンを渡し続けているだけです。しかし人間自身の社会を変えてしまったことで、人間だけが離れてしまったという矛盾があります。
この矛盾をどう受け入れ、お互いの持ち味を活かして末永く共生を続けていくか。まさに今の時代を生きるものたちの大切な使命を感じます。
引き続き、少し先を見通しつつ一手一手、手を入れていこうと思います。
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自分にも同じように高校3年間がありましたが、同じ3年でも過ごし方が違えば学びも全然違うことを感じます。だからこそそれぞれの学びが他の人にとっての学びになることも感じます。ここ最近エドワードモースの『日本のすまい 内と外』を読み進めています。海外から見た日本の姿と同じように、異文化に触れているような感覚、それでいて日本という国に知れば知るほど誇りを感じます。子どもたちに少しでも聴福庵という場に触れらるよう、自分も一緒に学んでいきたいと思います。
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若者の間で、いま「昭和」が流行っているようです。私たちにとって懐かしい世界は、彼ら若者たちにとっては、新鮮で、新しい世界なのかもしれません。同じように、日本人にとっての「いにしえ」は、懐かしさと同時に、常に新しい世界でもあります。時代は移れど、若者たちの純粋な感性を信じて、あらゆる「ほんもの」をしっかり残してあげられる仕組みをつくりたいものです。
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長野での環境は、人間の社会から見たら、何も無いと見てしまうくらいに自然に溢れていました。何も無い、、、から自然に溢れている!と感じられるまでに大人は時間がかかりますが、子どもは着いた瞬間から全てあると思い、玄関にも入らずそのまま外で遊んでいました。子どもたちに残したい日本の姿がそこにあるように感じます。子どもたちが感じている感性を邪魔しないように引き続き学び、暮らしに変えて行きたいと思います。
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あっという間に過ぎ去った怒涛の一ヶ月のように感じていましたが、振り返ってみると、あるものが沢山あったのだということに気づけます。コーティングやバーチャルリアリティなど、あるように見せる環境の中に慣れてしまうと、あるものよりも無いものを見やすくなるのは自然なことなのかもしれません。しっかりと本当にあるものの方を観ていきたいと思います。