昨日は、聴福庵の箱庭のカエデの選定を行いました。昨年は、時期がずれていたこともあり大量の毛虫が発生しそれを食べる蜂もたくさん来ていていろいろと虫に刺されひどい目に遭いました。
今年は、昨年の四季の巡りを体験しましたからどの時期にどのような手入れをすればいいのか体が覚えています。田植えなどもこれから行いますが、何年も四季の巡りを体験すれば自ずから体が覚えて全自動的にタイミングを合わせてきます。
私たちは自然から離れて時計やスケジュールに体を合わせますが本来は四季の巡りに合わせていきているのがすべてのいのちです。そのいのちが四季に合わせるからこそ周囲とのタイミングも合ってきます。もっとも無理も無駄もなく、周りの様子を感じてどの時期に自分が何を動けばいいかを自明するのです。
本来、タイミングと合わせる力というのはもっとも大切な力です。タイミングが合わなければ何をやってもずれてしまうこともあります。そうなれば徒労に終わるばかりで何をやっても周囲との不調和が生まれるのです。
自然に四季があるように自分の体にも四季があります。その四季の巡りを熟知し体で体得するというのは自分のことだけではなく周囲のことも深く理解していくために必要なことです。
この四季の体得は、体を使って感じるしかなく、それも一年の四季の巡りを全体で掌握して時期を感じながら生き続けるしかなく、ここに人間の五感を磨き生き方ががらりとかわる理由があります。
何か自然物を自然に共に育つ関係を持てば、すべての生き物は四季に合わせて変化します。その変化に応じて自分自身を変化していくことで体が変わっていきます。体を四季に合わせて変化していくのは自然の道理に従って自分の感覚を研ぎ澄ませていくものです。
その研ぎ澄ませて感覚を得れば全体把握ができるようになります。人間はどれだけ大きく全体を観るかで自分の動きも変わってきますからこの感覚は人生を生き抜くためにはとても大切な力になります。
地球の流れとともにある生き物たちは、四季とともにあるとも言えます。引き続き四季に合わせて四季の巡りを学びつつ、自然一体の境地のままに道を歩んでいきたいと思います。
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あの仕切られた空間の中に生まれる四季のめぐりは、自然と人が織りなす集大成のように感じます。縁側から眺めるのと、外に出て見るのとでは見える世界が違います。もっと言えば囲炉裏の間から眺めても切り取られる風景が変わります。今の姿は今しか見られないことを忘れず、しっかり目に焼き付けておきたいと思います。
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日本の四季は、太陽の巡りとともに、「二至」「二分」「四立」「二十四節気」「七十二候」と展開し、天候や空気感、そして生き物の動きが常に変わってゆく様はほんとうに豊かです。それは、日本人の体感力の豊かさや、観察眼の繊細さによるものでしょう。時計とは違うリズムの時間が流れていることをきちんと味わいながら、四季折々を豊かに生きたいものです。
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4月辺りからまた新たな体制となり、取り巻くものが変化してきているからこそ観えるもの感じることも変化しているように思います。そしてこのように変化していくことこそ自然なことのように感じています。「そのとき、どうする」の言葉のように捉われをなくし「今」がどうであるかを感じていく力を高めていきたいと思います。
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切られたカエデの葉や枝を両手で抱えたとき、カエデの香りに包まれるとともに、この時期の香りと体にインプットされました。空気や香り、肌ざわりと五感を通した体験が自分の季節感を作り上げていきますが、普段は中々この五感を使う機会が多くありません。聴福庵や自然での体験が貴重な理由は体に季節感を作り上げていくところにもあるのだと改めて感じます。