吉田松陰が死の直前に書いた留魂録というものがあります。これは辞世の句からはじまり、仲間や同志、弟子たちには「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」と記し、家族宛に「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」と記しています。
これと同じく、「諸友に語(つ)ぐる書」というものを遺しました。
ここに最後まで忠義に生きた吉田松陰の生き方が観え、深く共感するものがあります。
「諸友蓋(けだ)し吾が志を知らん、為(た)めに我れを哀しむなかれ。我れを哀しむは我れを知るに如(し)かず。我れを知るは吾が志を張りて之れを大にするに如かざるなり」
意訳ですが、「君たちはきっと僕の真心を理解していることと思います。これから先に死んで逝く僕のことを決して悲しまないでください。僕の死んでしまうことを悲しみ同情することは、僕の本心や真心を理解してくれたのではありません。もしも僕の本心や真心を深く理解して同情してくれるのなら、僕の志を受け継ぎ、この志を更に大きく実現してくれることなのです。」と。
ここに最後まで真心に生き切り、自らの志、その忠義に生きた吉田松陰の生き方が観え、深く共感するものがあります。
志は、自分の人生だけで完結するものではありません。何代も先のため、せめて七代先のことも憂い、自分がその使命を果たそうとするのです。志を継ぐというのは、それだけ物事を長いスパンで考えてその志のバトンを受け継いでまたそれを次に渡していこうとする試みなのです。
例えば、孔子や仏陀、キリストをはじめ、神話や伝説などもそれは語り継ぐ人がいたから今の私たちがその言霊と真心を理解することができます。数千年以上前の出来事が今でも生き続けているのは、その志を継いでくれた人たちがいたからです。
その志を継ぐことは、決して頼まれた結果を出せばいいのではなく同じ生き方をしていってほしいという願いと祈りに近いものがあるのです。自分の真心や本心は何か、それは未来の子どもたちや子孫のためにも、先祖のためにもこう生きたいという心そのものです。
その心のままに歩んでほしいと願い、その心が同じであるから共に同志が集うのだから守るべきは自分のことではなく志を守ろうとするのです。守るものがあるから生きられ、守るものがあるから本来の自分の使い道があるとも言えます。
何を守るか、何を信じるか、何のために生きるのか。
これらが志と結ばれ、その志が永劫に受け継がれ生き続けるのです。吉田松陰にこんなに惹かれるのは、志が同じくするからかもしれません。別に外国を追い払おうとしたのではなく、大和魂を守ってほしいというのが志だと私は思います。
引き続き子どもたちに大和魂を譲り遺すためにいのちを懸けていきたいと思います。
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「志す」というのは、「何に自分のいのちを使うか?!」ということを決めることです。しかし、たいていは、そう簡単にできることではなく、その「覚悟」というものが試されます。いろいろと誘惑があったり邪魔が入ったりして、途中で迷ってしまうのは、結局は「命を懸ける意味」がわかっていないということかもしれません。「欲」を散らさず、「信じる道」を信じる力をもっと高めたいと思います。
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留魂録には心揺さぶられるものがあり、時代を超え生き様に触れ、自分自身の生き方を問われているようでもあります。頼まれごとだけでなく、自分で考え自分にできることを尽くす。ただひたすらにそこに尽きるのだと感じます。「何を守るか、何を信じるか、何のために生きるのか。」一生尽きることのない自問ですが、この問いを持って日々歩んでいきたいと思います。
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聴福庵にいると、自然と日本人としての暮らしや大切にしてきたものに触れる機会をいただき、先人の志に触れさせていただいています。その志に触れながら、自分自身もどう生きるのか、どう暮らすのかを考えさせられ、そして変化してきていることを感じます。家族としても少しずつこういった体験ができる環境を時間をかけてでも整えていきたいと思います。
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園の理念を明確にしてそれを後々まで継げるようにする試みは、広く観れば日本や世の中全体でも同じ道理を行っているとも言えるように思います。それはベランダで稲を育てることが出来ればそれを広く観ればいいというように根本は同じで、一見小さくみえる中に大事なものがある、そのような繋がりを忘れないことを大切にしていきたいと思います。