一般的には人は職業によってやっていることが異なるものです。職業の違いで立場や役割を分けたりしては、その立場を守りその役割を果たそうとします。しかし現代に入り、ますます多様化した社会と合わせてAIなど人工知能の出現でこれからの職業は大きく変わっていくように思います。
そもそも職業から私たちは先入観でこういう仕事だと思い込みますが、職業がそうだからとそこから生き方まではわからないものです。医者をはじめ教師、もしくはなんらかの職人であってもその人の生き方次第では同じ職業であったとしても全く異なることがあるからです。
私たちが本来、大事にしないといけないのはどのような生き方をするかを決めるのであってどのような職業に就くかというのではないと私は思います。職業に就いたからそうなったのではなく、どのような生き方をするかと覚悟を決めたからこそ人は為るからです。
人物というのは、世界のどの場所にも存在していてそれは職業で分かれているのではなくやはり生き方で存在します。どんな生き方をしているかを観て、そこに自分が共感し、その生き方を尊敬して自分の生き方に反映させていくということ。
これが生きる道であり、どんなにAIや人工知能、また社会が多様化して時代が変化してもこの生きる道は変わることはありません。
生きる道とは生き方のことです。
「あなたはいったいどんな生き方をしますか?」
この問いは、一日の時間の中でどんな生き様をするかということ。自分の決めた生き方が生き様になりますから、どんな生き方をするかがその人の人生そのものになっていきます。
職業の別や方法論に入る前に、自分の生き方に出会うことが自分の生きる道を見出すということです。後ろから歩んでくる子どもたちのためにも誰が何と言おうと勘違いされようと、自分の生き方は自分で決めて自分で貫くような人生を歩んでいきたいと思います。
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「何をするか」と「どのように生きるか」は、まったく違うことです。「どのように生きるか」を決めれば、「何をするか」は手段になりますが、これが逆だと、「生き方を見失ってしまう」ことがあります。「入り方」を間違わないようにしなければなりません。先人たちの「生き方」を励みにしながら、「自分の決めた生き方」を貫いていきたいと思います。
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「将来何になりたい?」と子どもの頃、大人から聞かれることがよくありました。それは今も変わらず、定番の質問かもしれません。何になりたい?は職業を聞いているわけですが、もしかしたら、この大人側の聞き方一つで将来を左右するようにさえ思います。自分自身はやはり、この質問に職業で答えていましたが、本当になりたいかはともかく、聞かれるから答える、書いて提出しないといけないと刷り込みに陥っていたように感じます。生き方を貫く、大事にしていきたいと思います。
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どんな生き方をして行きたいか。それを自問自答すること、決めることができる環境を思う時、振り返りの習慣や、磨き初めや書き初めが思い浮かびます。昔は書き初めなどやっていましたが、今の子どもたちとはやった事がありません。家庭でも大事な実践として、生き方を問うたり、振り返ることを見出して行きたいと思います。
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「自分への矢印」とは非常にわかりやすい生き方の例であり、最も尊くかつ難しい生き方でもあるように思います。誰のせい自分のせいにするのは易いですが、誰も責めずにただ自分が変わればいいとしていく生き方、自然の中で生きているいのちは皆そのようにしているのだと思えば、自分自身もまたそのような自然体の生き方に近づいていけたらと思っています。