「約束」という言葉があります。これは字を分解すると「約」っていう字は目印をつけるために糸を引き締めて結ぶこと、そして「束」という字は木を集めて紐にひっかけて縛るという意味があります。つまりは、目印をつけてそれを縛るということです。
この約束は他人とするものかといえば、それは相手次第になりますからやはり自分とするものです。自分の心に決めたことを自分の心に結び、それを信念として守り続けて最期までそれをやり遂げる、それが約束を守り約束を果たすということになると思います。
この約束とは、自分の決めた生き方のことです。言い換えるのならば、魂の声に従うということです。人は頭で考えなくても自然に自分のやりたいことに全自動で向かっていくように思います。素直さを磨いていけばいくほどに、本当はそうだったのかとすべてのご縁や導きが一つの天命によって貫かれていることに気付くように思います。
しかし自分の中の固執や我執からそれが観えず、いつまでも自分がわからないままにまわり道を繰り返してしまうものです。そのまわり道を通っているうちにはたと心の目印、約束にめぐり合い自分の道に気づいて感謝するのかもしれません。
人は同じ人は誰一人おらず、お役目や役割も人それぞれで異なります。自分と異なるお役目の人を羨み、妬み、それを欲しがってもそれは自分のお役目ではありません。自分のお役目は自分にしか与えられていませんから、そのお役目を果たすとき約束を果たしたということになります。
自然では、あらゆる生き物たちが存在します。
その生き物のいのちによっては、非業の死を遂げるものもあり、また平穏無事に寿命を全うできるものもあります。同じ草であっても、同じ虫であっても、そのお役目は千差万別あり同じ役目のものは一つとしてありません。
つい人間は自我や自己認識が強くなり、自己中心的になると周りのことがわからなくなり自分のお役目のことなど忘れてしまうのでしょう。そういう時に忘れない工夫こそが、約束の価値であり、理念や初心というものもまたその人のお役目を守り果たしていくための仕組みなのでしょう。
運命をどう生きていくか、その時に大切なのはお役目を忘れないで生きていくことなのかもしれません。
人生の約束を守れる生き方は、素直に謙虚に感謝の心のままに生きていく生き方です。あるがままの自然体で、ありのままの運命を受け入れる柔軟性と好奇心。まるで魂のままの子どものように自分の道を迷いなく清らかに明るく正直に生きていければとても仕合せなことだと思います。
自然が約束しているあの生き方のように、自然に沿って生きていきたいと感じます。子どもたちから学び、子どもたちのようにそのものが持って生まれた天命のままでいるような姿を見習い、子どもの憧れる働き方を求めていきたいと思います。
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約束には「その都度交わすもの」と「以前に交わしたもの」があるように思います。特に、「生まれるときに交わした自分との約束」を思い出す必要があるでしょう。それは、きちんと自分の魂に刻まれています。「どのように生きる」と自分と約束して生まれてきたか?!それを忘れずに生きることが自分の道を歩むことなのではないでしょうか。
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小学生の頃、相撲の若ノ花関が「人前でする努力は当たり前、人が見ていないところで努力することが大事」というようなことを聞き衝撃を受けました。今にして思えば横綱ということもあったのだと思います。横綱の品であり、格であり、生き方に滲み出るものがあるように、私自身も独り慎み精進していきたいと思います。
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約束が自分に力を与えてくれるのはその約束との関係性が自然だからだと感じます。なぜ約束したのか、その背景から現在にいたるまで、様々な自然と不自然を体験しながら、関係性が深まっていくのだと感じます。約束を守れているか、守れていないかということだけでなく、その約束との関係性が深まっているだろうかというまなざしも大切にしていきたいと思います。
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「今」があるということは、どのような状況であれ幸せなことなのだと感じます。自分で選んでいるようで実は全てが繋がりの中で導かれているのだとするなら、過去も未来も関係なくただ安心して今に注力することが出来るように思います。何を観ていくか、その芯となるものをしっかりと持っていきたいと思います。