英語の諺に「Yesterday is history, Tomorrow is a mystery, Today is a gift. That’s why it is called the present.」というものがあります。これは意訳すると、「昨日はもう歴史になっているし、明日はまだ神秘に満ちている。だからこそ今日この一日こそが天からの贈り物(プレゼント)。」というのです。
もしも人がすべてのことを天からの贈り物と思えば、その試練もまた天からの贈り物であり、日々のすべては天が自分が本当に望んだものに対して与えてくださった大切なご縁(プレゼント)ということになります。
このプレゼントいう意識は、感謝の心が大前提になければ感じることはありません。日々に彼方からやってくる出来事に対してそれを避けようとはせず、また有難いご縁、有難い贈り物を与えてくださってとお礼をする感謝の心の積み重ねによってプレゼントを感じる心は醸成されます。
神社にお参りにいくとき、私たちはお礼参りをしにいきます。ないものに対する不平を願うよりも、いただいているものすべてに感謝をする方が心豊かです。あるものを活かそうという発想もまた、この感謝の心の醸成によって磨かれていきます。
よく考えてみれば、この生まれてきた体も、そして子どもたちも、さらには自分に与えていただいた感覚のすべてもまた天からの贈り物です。それを贈り物だと思って大切に扱っていく人は、いつまでも天からの恵みや恩恵に包まれ、どんなご縁であってもすべては尊いいただきものだと感じられるものです。
そうやって感謝の心が積みあがっていくとき、その恩に報いたいという心もまた同時に育っていきます。天からの贈り物とはこの感謝報恩の心のことをいうのかもしれません。
もしもその感謝の心を忘れ傲慢な心が育てば、不平不満は単なる身勝手な我儘になり文句や言い訳ばかりをいってはせっかくの一日も貧しくつらい面白くない日々にしてしまいます。そのうち「もういらない」といただいたものを撥ね退けてはせっかくいただいたものまでゴミ屑のように粗末にしてしまうかもしれません。自分の欲しいもの以外はいらないという強欲さは仕合せを一層遠ざけてしまいます。
自分が今回与えられたご縁(プレゼント)が如何に偉大であるか、その天からの贈り物からお役目に気づき生きられる人はとても仕合せな人です。
人生はすべて生き方が決めますが、ものの見え方が変わっていればそれは生き方も変わったということですからどのような一日を過ごしてどのような見方をしたかの連続で一生はつくられていくはずです。
日々はかけがえないのない天からの贈り物としてその贈り物を感謝の心で授かる心、つまりはすべてを丸ごと受け取る感性を磨き幸運を伸ばしていきたいと思います。
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天は、「私たちが望むもの」ではなく「私たちに必要なもの」を与えてくれると言います。それは、「必要なときに、必要な形で、必要な分だけ与えられる」とも言います。また、その「与えられるもの」こそが、「私たちの祈願」に対する「天の応え」だとも言われます。そう考えると、常に今日一日の出来事は、「いまの私にとってベストなもの」ということになります。これ以上の「ギフト」はないのかもしれません。
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振り返れば昨日もたくさんのものを頂きました。その前の日もその前も。振り返る中で大事なことに気がつくことと、主体的になっているから湧き出る感謝の気持ちもあり、贈られ方は様々ですがどちらも豊かです。今日という1日も大切にしたいと思います。
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入社して一番有難かったことは、自分自身に「感謝」というものに対する自覚と認識がないことを教えていただいたことでした。自分に得なものに対する感謝はあれど、それ以外に対する感謝の心の欠如に気づいたとき、モノの見え方と自分自身が少しずつ変わってきていることを感じます。まだまだすべての感謝と感じられるわけではありませんが、仲間とともに振り返りの中で磨きあえる有難い環境の中で精進していきたいと思います。
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先月の教訓を経て、今月は振り返りの大切を実感した一ヶ月だったように思います。素直に振り返れているかどうかは日によっても様々ですが、先日の二宮尊徳翁の言葉のように、振り返りというものもまた、例え明日がどうであれ「これまでの恩」を感じるからこそ止めないものなのかもしれません。あるものをよく観ていきたいと思います。