初心伝承の理

日本の伝統芸能、特に能楽や文楽、落語家などに名前の襲名というものがあります。昔は家督を継ぐといったり名跡を継ぐというものもありました。代々受け継がれていく名前は、自分がその同様の生き方を継ぎ、その志を継ぐことでもあるように思います。

私たちにも名前があり、苗字は先祖代々からの名を受け継いでいきています。それは先祖がいたことの証明でもあり、今の自分たちがあるのは先祖たちが生き抜いてきた歴史の積み重ねの上にあるとも言えます。

襲名で有名な老舗企業に愛知県半田市にあるお酢で有名な「ミツカン」があります。代々ミツカンの社長は「中埜又左衛門(又左エ門)」を襲名し実際に戸籍まで変えているほどです。これは初代の伝統と初心を忘れまいとする一つの仕組みではないかと私は思います。初代の苦労や先祖の生き様、そして道を究めようとした精神や歴史を名前を襲名するときに自分が先祖に恥じないようにと心構えを覚悟するのかもしれません。

そう考えてみると、私たちは生まれながらに当たり前に苗字を授かっていますがその苗字は本来大変尊いものであり、先祖の歴史が凝縮されている名前だとも言えます。先祖が自分の苗字に恥じないようにと生きてきたものを私たち子孫が受け継いでいく。それは血縁だけではなく、時にはその家の生き様を継ぐために養子に入った方もいます。

そのどちらも名前があるというのは、その名前には自分の根っこが今もなお息づいておりその名前が遺るのは今の時代に生きる自分が一家の代表をつとめているという意味でもあります。

一家の代表としてどのような生き方を遺していくか、名を継承するというのは歴史と時代の変化の中での初心と理念の伝承を行っているとも言えます。この初心伝承というものは、私たちが連綿と続いてきた日本人の精神や魂の継承のことであり、それが根幹になって枝葉として私たちがいることの確認でもあります。

世界の中で何をすることがもっとも私たちが役割を果たすことになるのか。それは風土の中で自分を尽くしていくという天地自然の理そのものに生きるということでもあります。

自然と調和していく中で、もっともその風土らしく風土そのものにまで精神を高めて磨いた人の名前は時代を超えて燦然と輝き続けます。それを義ともいうのでしょうが、その義に生きた人たちの名前がこの時代にも遺っておりそれを目指して高めていく人の生き方を観ていると魂が揺さぶられる思いもします。

初代がどのような人物であったかは、その後の人たちの生き様によって語られます。

子どもたちのためにも、伝統や伝承の意味を深めそれを還元していきたいと思います。初心伝承をさらに一層深めていきたいと思います。

 

  1. コメント

    重みは異なると思いますが、部活の先輩が抜け自分たちが引っ張っていく番が廻ってくるとそれまでとは違う責任感を感じたことを思い出しました。そして、自分たちが抜ける時は大それたことはしていませんが、後輩に託すような想いもありました。強豪校と言われる学校はそこが違うのかもしれない、そんなことを思います。自分の身近なところからイメージを持って、実践を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    伝統世界の襲名というのは、余程の覚悟がないと耐えられない重圧でしょう。それには及びませんが、一般家庭の「長男」も、ある意味、その一家を引き継ぐ重責ではあります。お墓の守など、結構大変と言えば大変です。世襲の世界ほどではありませんが、名前(苗字)を継ぐという伝承法は大切な智慧かもしれません。家の系図を意識しながら、「何を継ぐべきか?!」を改めて考えてみる必要がありそうです。

  3. コメント

    同じオリンピックでも、前回のオリンピック開催では国を挙げて日本という国を世界に発信していっていました。松岡修造がオリンピックの主役は国民一人一人だとテレビで言い、周りは笑っていましたが、笑い事ではなく、日本人という名を襲名していることの再認識の場でもあるように思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です