昨年は祭り部ができてから古来からのお祭りを見学したり都内のお祭りで神輿を担いだり、秩父夜祭りに参列させていただいたりと本当にたくさんの学びをいただきました。そこからさらに今年はご縁が深まり、郷里のお祭りの甦生に関わらせていただくことになり自分たちで一つ一つお祭りを復活させていくことになりました。
郷里の神社には、天神祭り、恵比寿祭り、稲荷祭り、祇園祭り、元旦祭りがあります。今までも氏子会を中心に存続されてきたものではありますが現在では人が集まらなくなり神事の後のお祭りは廃止されてきたものです。
日本には、古来より神様を中心に助け合いの文化が根付いていた国でもあります。それを和ともいいますが、この和の実践が失われていくことで地域のつながりもまた失われていきます。
古民家甦生がはじまり、自然発生的に神社甦生につながるのはそこに日本民族としての中心や根幹があるからのように思います。どのようにかつての先祖たちが暮らしてきたか、その智慧の伝承と継承こそが子孫繁栄と発展の鍵なのです。
最初は自分たちがお祭りのことを深め、お祭りの意味や価値、家の中の暮らしから祭りに取り組むことにするため天神祭の甦生からはじめます。
この天神祭とは、天神信仰のことで菅原道真を主祭神とした天満宮のお祭りです。菅原道真の誕生日が6月25日、命日が2月25日で、ともに25日であったことで毎月25日を例祭としているところが多いといいます。新暦に移行した現在でも25日を例祭として信仰しています。
郷里の天神祭りは、一時期は10万人を超えるほどの参加者があり7つの山車が市内を練り歩き、にわかというお面をつけた人が滑稽な話をしながら一軒一軒をまわり福をまき、たくさんの出店も並びとても賑わっていたそうです。それが次第に人口減と共にお祭りも縮小し、最後はお祭りくじの廃止と共に数年前からお祭りを行うことができなくなったといいます。お祭りが廃止されてからの地元のショックが大きく、それを甦生するというのは本当に難しい状況になっているといいます。
天神さまというのは神格は天降る雷神で雷光と共に天から降りてくると信じられていました。水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)は稲の実りを授ける神、めぐみの神ですから農民を中心に全国に崇敬されていったとも言います。それに菅原道真の学問に対する偉大な事績やその人柄が偲ばれ、天神信仰は文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神としても崇敬されました。
その天神信仰はその後、天神講を中心に全国各地に広がり、天神さま、天満宮として建立され「学問の神・誠心の神」として崇拝されています。
天神祭の甦生は、子ども第一義を理念とする私たちにとってもとても大切なお祭りです。そのお祭りの応援に、関係の深い全国各地の先生方が集まっていただけるというご縁もいただき有難い真心に感謝でいっぱいです。
子どもたちの未来のためにも、そしてこれからはじまる大和魂の甦生のためにも真摯に誠実に信仰のままにお祭りの準備を進めていきたいと思います。
コメント
祭り部が発足した時は、一体どうなるのなと思っていました。ですか、一つひとつの経験はどれも尊く、イベントではない本来のあり方を体感させて頂きました。そして、今一度お祭りとは何かを考える機会でもあり、先生方と共にというお力添えも有難い限りです。今できることを一つずつ行っていきたいと思います。
コメント
京都では、毎月「20日は弘法さん」「25日は天神さん」といって、いまでも信仰に根ざした行事が続いています。それは、生活に溶け込んだ自然な行事です。最近では、集客が問題になるため、いろんなものが「イベント的」に変化しています。しかし、単なるイベントでは、そこに「意味」が見出せません。お祭りの甦生は、集まる人数ではなく、意味の再確認から始めることを大事にしたいものです。
コメント
何故お寺さんではなく、神社にご縁があるのか。何故、古民家なのか、と振り返るほどにそこには導きという名の道があるように感じます。自他が別れない場所にある道を歩んで行きたいと思います。
コメント
駅伝部に続く「祭り部」、始まった当初はややノリのようなところもあったように思いますが、北海道の不思議な体験などの積み重ねがあって今がやってきたようにも感じます。今相応しいものが来て、それを深めていくほどにまた相応しいものを与えていただけるという有難さ、願っても得られない体験を大事にしていきたいと思います。