聴福庵の壁紙を手漉きの和紙で貼っていく作業が進んでいます。一枚一枚、同じ形、同じ模様、同じ厚みのものは一つもなくそれぞれに個性があり印象が異なる手漉き和紙を丁寧に手作業で職人の方が貼り合わせていきます。
今では機械でプリントされたものや、化学合成された紙風のものを接着剤で一気に貼れ時間も短縮されて簡単便利に交換しやすいものになっています。最近では防火法の関係で燃えるものは壁紙に使えないということで、今回のような手漉きの和紙を貼るような仕事はほとんど皆無になったと仰っていました。
樽では保健所が衛生面で危険だからプラスチックに換えるように指導が入り、壁紙は燃えるからと化学合成のものにし、建物は地震対策のために伝統の建築を西洋建築の基準にするようにと法律によって縛っていきます。
よくよく考えてみるとわかるのですが、今まで漬物やお酒、味噌、醤油にいたるまで木樽で何百年も使ってきたものです。それを今になって急に木樽は不衛生というのはどういうことかと思います。除菌や殺菌、滅菌と菌を排除しますが自分の体も含めて私たちは菌で構成されています。良い菌も悪い菌も全部滅菌することがいいという考え方は何百年、何千年も篩にかけられ残ってきた智慧の否定です。
また壁紙が燃えるからといって防火法の観点で燃えるものは禁止といっても、高温多湿の日本の風土はこの紙が調湿効果が抜群で紙が水を吸ったり吐いたりして呼吸するから日本の湿度の中でも快適でいられます。これをすべて化学合成にしたら水滴が出てきて、それを防ぐためにホルムアルデヒドの強いものや防カビ材を塗って、さらには除湿器を入れるというのは防火以前に防水ができていないということになります。そもそも木造建築で土、紙を用いるというのは高温多湿の日本ではなくてはならない最低限のものですがそれがなくなればその分、家の中を密封にして乾燥機を入れてカラカラにしていくしかありません。
そう考えてみると、昭和25年からはじまった建築基準法の改正は現在にいたるまですべてアメリカや西洋を基準に書き換えられてきました。それまでの伝統工法を否定し、在来工法で建てることを禁止し、それまでの職人さんたちの手仕事は失われていきました。その分、西洋からの建築技術や機械が導入され木造建築から鉄筋コンクリートに建て替わっていきました。
自然と共に自然と調和しながら暮らしていく建てものから、自然に抵抗し自然から乖離する暮らしに建てものも変わっていきました。今では、ビルも家も総合空調で窓もない建物で埋め尽くされていきます。ガラス張りで外の景色は観えても、日本の四季や風土を感じるような建物にはなっていないように思います。
古民家甦生を通して感じるのは、先人たちや先祖たちが如何に自然を大切にし自然と調和して自然と一体になって敬い助け合い生きてきたかということを感じます。この先人の智慧が伝統の文化や職人さんの技術と共に失われ将来の子どもたちに伝承されていかないと思うと慙愧に堪えません。
日本の風土に沿って日本人の生き方を守っていくということは、先祖から伝承されているものを大切にしていくということです。引き続き、子どもたちのためにも種火が消えて失われないようにつなげるものはつなげて譲り渡していくために甦生を続けていきたいと思います。
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職人さんが入り、様々なものがかたちになっていくと夢が広がります。それは決して簡単便利ではないかもしれませんが、本来の源流が残っており、体現している場が聴福庵なのだと感じます。伝統文化も今の形に職人さんたちが適した形で発信しているように、自分自身も今だったらどうしていくかを考えていきたいと思います。
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「建築基準法」をはじめ、いろいろな「法律」が、これまでの日本人が培ってきた大事な智慧を無駄にしているというケースがたくさんあることは、非常に残念です。「法律に基づく」ということは、ある意味重要なことではありますが、「法的にどうか?!」ばかりを考えて、「人間の智慧として判断する」ことをしないということは、「人間力」の低下につながるのではないでしょうか。
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保育・教育に相通じるものがあるように感じます。もともとの日本の風土の中で生まれて来た伝統や文化は、自然への寄り添いを通してこの国の「個性・らしさ」を大切にしながら育まれてきたように思います。どこまでも症状への対処を続けていくのではなく、原点に立ち返り根本にあるものが何であるかを観ていきたいと思います。
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同じようなモノに見えるが全くの別物であるというものが多々あります。昔は神社に人々は集まっていましたが、戦後のGHQの政策で公民館ができて公民館に集まるようになりましたが、氏子たちの主体的な地域づくりから行政役所の管理型なものにと入れ替わってしまっているのも同じようなことなのかもしれません。寺小屋から学校教育も似たようなところなのだと感じます。形が同じであればよいのではなく、本質が引き継がれていくかどうかを、社業も家庭も大切にしていきたいと思います。