時間をかけてゆっくりじっくり少しずつやるというのは周囲への思いやりにもなっています。私は性格上、昔は勢いで一気にとやっていましたがその分、周囲の人たちにたくさんの迷惑をかけました。今でも、時には癖でそうなることもあるかもしれませんがそういうときこそ急いでいないか、焦ってはいないかと気を付けるようにしています。
自然の力を借りるとき、何よりも必要なのはこの「ゆっくり」ということです。そしてそれを受けてこちらは「じっくり」というものがいいように思います。英語ではスローだとか言われますが、これは私にとっては自然の流れに従い、自然の流れに沿うということです。
しかし実際には今は、タイムスケジュールで世の中は動いていて自然とはかけ離れたところで時間は流れています。そのせいか、すべての行動や時間が人間都合になってしまっていて誰かに合わせて日程を調整しなければならないためそれぞれに自分の時間を取り合っているようにも思います。
かつては自然の四季のめぐり、悠久の変化に合わせて人間側が合わせていましたから地域でのお祭りや行事、農事なども一緒になる機会が多かったように思います。これは人間に限らず、あらゆる草花や動物たち、昆虫たちとも自然のめぐりの中で出会って共に感謝の暮らしを味わってからのように感じます。
季節の室礼についても、室内に四季への感謝を取り入れることで人間都合の時間の流れに対して自然の流れを忘れまいとした先祖、もしくはそのころの懐かしさを味わい豊かな情緒を楽しんでいたのかもしれません。
梅雨になれば梅雨の情緒、花鳥風月の美しさが彩られていきます。それはすべてにおいて自然の流れの中で同時にいのちが時々の自然と調和していることを意味します。
私たちは今一度、人間だけが進めてしまっている時を見つめ直し、そして進みすぎてしまった文明を省みる時期に入っているようにも思います。日本は世界の役割の中で必要なのはこの自然と共生し暮らしていく智慧の甦生ではないかと私は感じます。
引き続き子どもたちのためにも、智慧の甦生につとめていきたいと思います。
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この時期に咲くアジサイの彩りに目を奪われたり、ホタルの煌々ときらめく光りをずっと眺めていられる感覚も、いつもの暮らしの中で流れる時間を忘れてしまうほどです。同じ1日でも過ごす場所が違うだけで感じるものも異なり、古民家にいると自分の五感は眠っているのだろうかと思うほどです。子どもたちにもこの風景をと思う景色を自分も感じさせて頂いたからこそ、自分にもできることを一つでも力を尽くしていきたいと思います。
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すべてのものは変化・変転していますが、そのスピードはそれぞれであり、お互い適応しながらも自分のリズムを見失うことはありません。ところが人間は、周りのスピードやリズムに、焦らされ振り回されるケースが多いようです。「スピードは速いほどいい、かかる時間は短いほどいい」という発想は、人間の勝手な都合です。生産性を上げるための時間管理ではなく、いのちの生きる「時という時間の流れ」をきちんと味わえる豊かさを失わないようにしたいものです。
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都会にいると、自然に触れる機会を作らねばなりませんが、梅干や味噌作りなど暮らしに季節を取り入れていくと、また少し感性を澄ませる体験になっています。今頂いている環境の中で自然から学び、何を暮らしに取り入れるか。都会にいるからこそ、意識をして行きたいと思います。
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厳しい環境の中で自然を征圧することで生き抜いてきた民族がいるとしたら、私たちはなんて豊かな自然から恵みをいただいてきた民族だろうかと思います。今日も空を見上げれば夏のような雲が広がり、植物も花々もこの季節を謳歌しているように観えました。自然を感じて心穏やかになる、そこに原点を感じていきたいと思います。