人間は誰しも何らかのことで役に立ちたいと願うものです。たとえ苦労をしてもそれが役に立っていると思えば人はその苦労の甲斐があったと感じるものです。ねぎらうことやいたわることは、相手への感謝と思いやりでありそれができてはじめてお互いに助け合い協力を形にしていくことができるように思います。
この「ねぎらう(労う)」は、辞書によれば苦労や骨折りに感謝しいたわるとあります。またねぎらうというのは、働くという意味でもあります。働くことがねぎらうことであり、お互いの働きに感謝していくというのが本来のねぎらいです。
またねぎらうの語源は「ねぐ」であり、これは神を慰め、恵みを祈るという意味でもありました。
当たり前ではない存在に如何に感謝していくか、そこには「いつもありがとう」や「苦労をかけたね」とか「お疲れ様」とか、「助かります」とか、「無理しないでね」といった相手を思う思いやりが生きています。
それは目上から目下へなどのねぎらいではなく、お互いに当たり前ではない働きに感謝していこうとする思いやりの言葉をかけていくということです。
人は、労い感謝されればさらにやる気が出てきます。逆にどんなにやる気があっても、感謝されていないと思えばやる気は減退してしまいます。人間は感謝することによってお互いを活かしあい、感謝によってお互いの存在の価値を感じ合うのです。
どのような心で相手に接するか、親しい仲こそ日ごろの労を労い、感謝の言葉でお互いに伝え合うことが一緒に生きている証であり、共に苦労を分かち合い生きていく仕合せを味わうことのように思います。
言葉は、心を映す鏡ですから自分の使っている言葉が感謝になっているか、思いやりで満ちているかを常に反省し、日々を改善していきたいと思います。
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感謝してもらいたくてしているわけではありませんが、「感謝される」と嬉しく、救われた感じがします。中でも「ねぎらい」には、「一部始終を、後ろでしっかり見ていてくれた」という「見守り」の感じがあり、天から見守られているような悦びと安心感あります。そういう意味では、親しい間柄ほど、お互いに日々ひと言伝えることが大事かもしれません。
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たった一言で心持ちを変える言葉にはすごい力を秘めていると感じます。「ありがとう」と心の中で思っても、口に出さなければ何も思っていないのと一緒だと思うと、近い存在ほど気をつけねばと、思います。心も身体も言葉も機嫌のいいものを発表していきたいと思います。
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天国言葉である「ありがとう」、その言葉を発した時にしかめっ面だったことは今まで一度もありません。言葉は身体や表情そして心まで変えていくものだと思えば、どんな薬よりもそれは良薬なのかもしれません。合わせ鏡だからこそ、相手にも自分にも「ありがとう」を伝え、労い合っていきたいと思います。
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昨日、父親保育の懇親会で園長先生から労いの言葉をいただきました。その日一日は確かに自分なりの意味があり、自分なりに味わっていましたが、労いの言葉をもらうことで、それが自分一人の思い込みではなく、本当にそうだったんだ、わわわ、、なんとそれ以上の意味があったんだ!など、ねぎらいの言葉には、自分の感じていることを信じさせてくれたり、それ以上の価値や存在に気づかせてくれるのだと感じました。だからこそ、物事はやっておしまいではなく、振り返っておしまいではなく、お互いに労っていくことが大事なのだと改めて感じます。お互いがお互いを労う文化を大切にしていきたいと思います。