豊かな心

世の中にはいくら対立を避けていこうとしても対立するものがあります。お互いに思想が異なれば、それぞれに大切な守りたいものがあるのだからそこに引けない一線というものがあるものです。

そのこだわりや信念がぶつかり合えば時と場合によっては泥沼の争いに発展していくこともあります。お互いの主張やお互いの理念に対して、談笑のうちに語り合えればいいのですが時として守っているものがあるからこそ本気でぶつかり合うこともあるのです。

その中で相手を否定して排除するのではなく、いかにお互いの理を受け容れて協力していくか、これは人類に課せられた一つの大きなテーマのようにも感じます。先人たちはどのようにそれを乗り越えて、平和を築いてきたか、そして大和といわれるように民族の精神を磨いてきたか、私たちは正対する必要があるのかもしれません。

かの松下幸之助氏は、対立ということについてこう語っておられます。

「対立大いに結構。正反対大いに結構。これも一つの自然の理ではないか。対立あればこその深みである。妙味である。だから、排することに心を労するよりも、これをいかに受け入れ、これといかに調和するかに、心を労したい。」

対立することも自然の理とし、そのことで深みが出てくる。それが自然の妙味であるといいました。だからこそ如何に受け入れ調和するか、心の持ち方次第であるというのです。さらにこうも言います。

「競争も必要、対立することもあっていい。だが敵をも愛する豊かな心を持ちたい。」と。

この「敵をも愛する豊かな心」とは何かということですが、これは私は素直な心ではないかと思います。相手の言葉をその通りだと受け容れながらも、自分自身の中の答えには嘘をつかずに生きていくということ。つまりはお互いに異なっているものがあったとしてもそれを認め、その中でお互いに自分の答えを生きていこうとする真実の姿です。それぞれに役目ががあり役割がありこの世に出てきたからこそ、無理に違うものを同じ形にはめ込むことはできません。だからこそお互いの存在を尊重し合い、素直に認めて自分にしかできないことにそれぞれが専念していく。邪魔し合うのではなく、それぞれが見守り合うという関係になるということです。

豊かな心を持つことができるのなら、世の中は繫栄し平和が訪れると松下幸之助氏は信じたのではないかと私は思います。

松下幸之助氏の理念、「素直の心」にはこう記されます。

「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。また、静にして動、動にして静の働きある心、真理に通ずる心であります。素直な心が生長すれば、心の働きが高まり、ものの道理が明らかになって、実相がよくつかめます。また、そのなすところ融通無碍、ついには、円満具足の人格を大成して、悟りの境地にも達するようになります。素直な心になるには、まず、それを望むことから始めねばなりません。喜んで人みなの教えを聞き、自身も工夫し精進し、これを重ねていけば、しだいにこの心境が会得できるようになるのであります。」

この心境を会得するために、日々に素直という字を書いて精進されたといいます。もしもこのような豊かな心が持てるのならば、対立もまたお互いの妙味を味わう大切なご縁に換るのかもしれません。

引き続き、いただいた機会から学び直し自分の生き方を高めていきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    「素直な心になるには、まず、それを望むことから始めねばなりません」この言葉に今からでもはじめられることが示さられ、これまで頭では素直について分かった気になっていましたが、何もしてこなかったことも感じます。日々の鍛錬で成し得ることがあると思うと、少しでも近づいていけるよう、学び続けていきたいと思います。

  2. コメント

    ものごとの本質を理解するときに、「愛と無関心」など、その対極を考えるという方法があります。「対立」も、そういう意味では、「己を知る」ための方法論のひとつかもしれません。「対立構造」は、「敵」という位置づけをしますが、敵と見える人の中に、仏性や神性、良心が見えるようになると、そういう応援の仕方もあるのではないかと感じることがあります。

  3. コメント

    素直な心を思う時、違う意見や考え方のひとを排除するのではなく、同調していくのかに心を労したいという幸之助さんの言葉に自分自身が映し出されたように感じます。自分自身が素直でいられるために対立する方々と離れたりすることが素直さを守ることだと思っていましたが、どうやら違うように感じます。自分自身をどう調和して活かしていくのかと、自分以外の価値観を受け入れていかなければと感じます。

  4. コメント

    「対立大いに結構。正反対大いに結構。これも一つの自然の理ではないか。」そんな風に言葉を発することが出来る背景に、ご自身の大きな体験があったのだろうと感じます。競争や対立が生まれそうな時にどちらかを無理に排除するのではなく、それ自体を福として捉えている、聴福人として素直な心を磨いていきたいと思います。

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