昨日、熊本にある多種複数の福祉施設を運営する法人の理事長との理念面談の中で「心に寄り添う」ことについて話を深める機会がありました。この「寄り添う」というのは、心に寄り添うことです。この寄り添うは見守ると似ていて、本人が自らの力で人生を生きていくことを信じるということでもあり、自立を支援するときの一つの境地であるとも言えます。
「寄り添う」というのを辞書でひくと、「ぴったりとそばに寄る」と書かれています。適切な距離感で相手と一緒に連れ添う、寄り添うという感じになります。いつも一緒にいる距離感、相手を信じて見守る距離感でいるということにもなります。
心に寄り添われれば、人は安心して自分自身の力を発揮して自立していけるようになります。分かってもらえる人がいる、隣でいつも見守ってくれている存在がいる、親心を感じることで人は挑戦する気持ちや困難に立ち向かおうとする勇気が出てくるものです。心に寄り添ってもらった経験はいつも今の自分を支えてくれます。
しかしこの心に寄り添うというのはとても難しいことで、自分の思い込みや先入観、自分の我を優先してしまう人にはできないものです。その人の立場になりきり、その人を自分だと思って思いやれるには自分自身の価値観や自分のバイアスをかけた色眼鏡でみてもそれは寄り添ったわけではないからです。
きっととか、だろうとかいった自分の考えを入れずに、心のままに相手に寄り添う。自我や私欲を無にして、相手そのものの心と一体になって心配するということでその時、相手が自分であり自分は相手であるという姿、相手を自分事にして共感しているときに心の寄り添いがはじまります。
つまり心に寄り添うというのは、頭で考えることではないということです。
自分の心に寄り添うときであっても、自分はこう思っているだろうとか、きっと自分はこれがしたいのだという推察で理解するのではなく、自分の心に素直になって自分の心と対話をするとき、心に寄り添ったという境地に入ります。つまりは私利私欲が我を通り抜けて自分の心の声に従うことで素直な自分になり心はピタリと自分と一緒一体になります。
相手の立場になって思いやるというのは、相手のことを思い込むのとは違いますから、まずは自分の心を近づけて心でその人そのものの存在を丸ごと認めて感じなければなりません。
私たちの実践する聴福人も、傾聴、共感、受容、感謝の順に心を近づけていきますがそれはまずその人そのものの心の声を聴くために取り組む実践徳目なのです。
心に寄り添うことは心の声を聴くことです。
引き続き、子どもたちのためにもいただいたご縁を活かして子どもの憧れる生き方を弘めていきたいと思います。
コメント
一人では不安でできないことでも、「誰かに付き添ってもらえるとできる」ということはたくさんあります。それは、単に「応援している」とか「励ましている」というレベルのものではありません。「がんばれ」「大丈夫だから」と言われても、なかなかがんばれませんが、自分の不安な心境に、ぴったり寄り添ってくれていると、自信というか勇気が湧いてくる気がするものです。「大丈夫!」という声援は、意外と無責任に聞こえます。相手にとって「安心できる距離感」でいたいと思います。
コメント
見守られていることもですが、寄り添ってもらっていると実感する時、安心感に包まれます。やるのは自分であっても、安心感は何物にも代え難いものでもあります。目には見えないものですが何かに取り組む時、自分自身もそういった存在となれるよう、日々精進していきたいと思います。
コメント
相手にとってのぴったりかどうかは、相手に聴いてみないと本音は分かりません。私が良かれと思ったり、心を使ったつもりになってさしまっては、寄り添い風なことは出来ても、寄り添いきれないのだと感じました。傾聴と共感、受容、感謝のプロセスを丸ごと大切にしていきたいと思います。
コメント
今日の聴福人ミーティングで「一円対話は問題解決の場ではなく…」という話を改めて皆で確認し合いましたが、本当に心に寄り添って聴くことが出来たなら、ただそれだけで人は自ら乗り越えていくことが出来るのかもしれません。聴くという奥深さにとても難しさを感じますが、目指す方向へと歩んでいきたいと思います。