祭り部ができてからお祭りのことを深めていますが、お祭りが続く理由について考えることばかりです。京都の祇園祭りや博多山笠、秩父夜祭などもそうですが長く続くものには理由があるように思います。これらの大きなお祭りとは別に、地域で行われているお祭りもまた続いているものもあれば衰退していくものもあります。
若い人が田舎からいなくなり、都会に出てしまい少子高齢化で伝承が引き継がれないこともあります。また都市部でも、引っ越してきた新しい若い人たちが地域のコミュニティに参加しないということもあります。
本来、何のためにお祭りをしているのかを忘れてしまえばお祭りを継承することもできなくなります。今の時代は、先祖が積み重ねてきた徳を守り、恩返しに報いようとするよりも自分さえよければいいという風潮が多いように思います。お祭りもまたその中で変化して単なる観光の一つのようになっているところも増えています。
以前、お祭りを深めて書いたことがありましたが本来は自分を見守ってくださっている存在、つまりは神様に対して感謝を顕すためにあったものです。先日も、古民家甦生の中で地鎮祭をしていただきましたがこれもまたお祭りの一つです。
一つ一つの儀式を通して、節目に神様に対して感謝の念を奉げるということだろうと私は思います。このお祭りなどの儀式こそ、自分自身が常に観えない存在に助けられているという感覚との結びであり、それを体験することで先祖と繋がり、また子孫繁栄を願い祈る心と結ばれるように思います。
太古から流れているもの、当たり前に生きてはいない自分たちが何ものによって活かされているのか、それを感じる仕組みがお祭りにはあるように思います。
祭壇をつくり供物を奉げ祈りを祀る。
感謝を忘れたいのりは続かず、感謝を忘れたお祭りもまた続かないと私は感じます。
引き続き、お祭りの本質を見極めながらお祭りの意味や真価を高め子どもたちのために大切な伝統をつなぎ結び合わせていきたいと思います。
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祭りと言えば屋台、神輿、花火、このイメージが強くありましたが、昨年から様々なお祭りを通してその都度考え、これまでとは違うものを感じています。神社の掃除も然りですが、祓い清められているのは自分自身であり、捉え方を誤ると形式だけで中身のないものになってしまうことを感じます。お祭りとは何かと自分自身でも深めていきたいと思います。
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「お祭り」の本質は「神事」であり、「神事」の本質は「感謝」であるということでしょう。そういう意味では、「お祭り」は、「日々の感謝」の特別バージョンと言えるのではないでしょうか。「個々人の日々の感謝」があってこそ、その地域の人たちが集まって、ひとつの「お祭り」が成り立ちます。まずは、「日々の暮らしの中に感謝を取り戻す」ところから取り組む必要があるのではないでしょうか。
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7月中旬以降、秩父では各地でたくさんの夏祭りが無数に行われ、夜祭でみた山車が引かれるそうです。今もまた、多くの方が暮らしの一環として祭りを行う秩父のことを思うと、感謝の心の強い地域なのではと考えてしまいます。出店や華やかな催しではなく、神事が継がれていくことが凄いと感じます。また、引越したからこそ、自分の地域にも目を向ける機会として行きたいと思います。
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その土地土地、その時期時期に、本当に様々なお祭りがあり、その一つひとつに由来があることを思うと、自然に寄り添っていないと出来ないことであり、これ自体が人間都合にならず謙虚に生きる為の古来から受け継がれてきた大切な環境設定のように感じます。カタチだけになってしまわないよう、そこに何があったのかを観ていきたいと思います。