亀井勝一郎氏の言葉にこんなものがある。
「割りきりとは、魂の弱さである」
経営をしていると色々な矛盾と対峙することがある。
子どもや人に関する仕事をしているとなおさらのことである。
たとえば、何かしらの善を求め行動すると何かしらの悪のようなものが生まれる。
良かれと思ってやったことも、時と場所を変えれば悪かったことにもなる。
福祉として取り組んだことが、商売という形で跳ね返ってくることもあり、逆に商売が福祉となることもある。
他にも人間模様ではより色々とある。
厳しいことを言うことがあるのだがそれは仏心であったりする。
優しさのようにみえて、それは厳しい現実を先送りして相手から逃げているだけというのもある。
つまり、一見誰しもが日常的に判断・決断する中に矛盾から生まれる精神的な葛藤がありどちらかに安易に割り切ろうとする精神が無意識に働く。
すると現実から逃避し、知らず知らずに安易な方へ判断を延期し割り切ることでその場をつなごうとするようになる。
子どもを商売の軸においての会社経営とは日々矛盾との対峙であり、福祉サービスとはその壮大な矛盾を胸に抱えながらどちらも併せ持つ覚悟がないと決断をすることができないのである。
以前、師匠はこの業界での将来へのビジョンを一つの「道」であると説いた。
一つの道を進むにあたり、大事なこと割り切らない思想を持つ事であると私は思う。
割り切らないという精神的な格闘を乗り越える勇気と覚悟があってこそはじめてこの業界で一つの道「ビジョン」を成し遂げることができるのだろうと思う。
「割り切りとは、魂の弱さである」
この言葉の深遠なる意味をもう一度考え直してみる機会になった。
コメント
園に訪問すると、どうしても自分を理解してもらおうという思いで相手の都合を考えず、自分の都合で話をしてしまいます。
自分は園のためにと思って話しをしていますが、改めて考えてみると、本当は園のことを考えずに話していて自己満足になってしまっているのかもしれません。
自分が満足するのではなく、相手を満足させてあげることが大切だと今回のブログで感じました。
もう一度自分の名刺の裏に書いてある志を思い出し、まずは、自分は園のために何ができるのか、
園に園長先生に感謝されるように園に伺いたいと思います。
そのために、相手に興味を持ち、園の困っていることをよく聞ききりたいと思います。
コメント
現代社会においても「ここまで」という安易な割り切りによる自分都合の言動で
知らず知らず相手を傷つけているということがあるのではと思います。
互いにそれ以上深く関わろうとしない時には良いのかも知れません。しかし、
関り合いを大事にするのであれば、安易な判断が何を損ねてしまうのかということ
を考える時代に来ているのではないかと思います。互いを認め合う社会にしていきたい
からこそ自分が相手を慮るということは何なのか、実践から学んで掴んでいける様に
していきたいと思います。