先日、福岡の聴福庵で梅干しをクルーと一緒につくる機会がありました。この梅干しに用いた梅は、「箙(えびら)」という品種で高野山で野性的に生えているものをある方からいただいたものです。天神祭に向けて梅を準備していましたが、改めてこの梅の持つ効能、また歴史について深めてみたいと思います。
ウメの語源は「熟む実」つまり「う」つくしく「め」ずらしいからきた語だという説があります。確かに、日ごとに熟して甘酸っぱい香りを放ちながら青梅が黄色になっていくプロセスには美しさを感じます。青いときも熟すときもまた、気品がありその時々が美しいということからその名前にあやかる人も多かったように思います。
梅は古来より薬として役立てられてきました。日本各地の弥生時代の遺跡に梅の自然木の断片・梅実の核(種)が発掘されています。日本へは約1500年前、薬用の“烏梅(ウバイ)”として伝来したことが文献にあります。これは青梅を薫製・乾燥したもので、現在でも貴重な漢方薬のひとつになっています。
現存する日本最古の医学書「医心方(いしんほう)」(984年著)にも、梅干しの薬効が記されています。昔から梅干しは「薬」として使われてきたのです。渡来当初、実は生菓子にして食べていたようですが、効用が知れるに従って長期保存ができる塩漬法が考え出されました。つまりここではじめて「梅干し」というものが書物に登場したことになります。
その後、ある申年に疫病が流行した時に村上天皇が梅ぼしとコブ入り茶で病が治癒したことで申年の梅干しには効果があると信じられ今でも価値があるとされています。その後は、鎌倉時代に入り、梅ぼしは僧家の点心やおやつとして用いられ椀飯振舞という言葉もここから出てきたといいます。
室町時代に入ると武家の食膳にものぼるようになり、戦国時代では戦場での「息合の薬」として戦に常備されていきます。江戸時代に入れば、一般家庭に梅干しは普及し冬が近づくと梅ぼし売りが街を呼び歩き冬を告げる風物となったそうです。梅干しはその後、明治に入り、コレラや赤痢の予防・治療、そして日清・日露戦争でも重要な軍糧として活躍したといいます。
梅干しは古来から、私たちが健康を維持するために必要な「薬」としての効果が高く、その歴史もまたいつも私たちを病から守る存在として大切にされてきました。現代でもがんの予防や、インフルエンザの予防、生活習慣病の予防、肥満の予防、美容効果に殺菌作用、整腸作用、エイジング効果、等々、書き出せばまだまだきりがないほど出てきます。
古語にも、「番茶梅干し医者いらず」「梅はその日の難逃れ」といわれますがそれだけ梅干しは目に見えて健康のために効果がある健康食品の原点ともいえるものではないかと私は思います。
以前、木は薬の役目があったと聴いたことがありましたがこの梅の木はまさに薬そのものとして愛され大切に私たちの子孫の健康を見守り続けてくださった存在だともいえます。この梅の徳に感謝の思いを込めて、毎年、この時期に梅干しをつくることは日本人として子どもの健康を願う親心そのものかもしれません。
私もこのご縁を機会に、これからは梅干しづくりを実践しその価値を引き続き伝承していきたいと思います。
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「まだまだ青いな」という言い方がありますが、青梅を思い浮かべると熟す前のことを表しているようで「なるほど!」と感じます。未熟で、青くて、経験も乏しいですが、それはまたその美しさがあります。酸っぱいのは苦手ですが、梅が時間を掛けて熟していくように、自分自身も経験を積んでいきたいと思います。
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わが家では、いまでも、お腹の調子が悪くなると必ず「梅干し番茶」をつくって飲みます。たいていは、それで不思議と収まっていきます。それは、梅干しに含まれる薬用成分だけでなく、昔から薬としての梅の効能を信じていた力が受け継がれて備わっているからかもしれません。成分の分析ではなく、日常の活用実践とその試行錯誤のなかから得られた智慧というものの豊かさを改めて感じます。
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梅は体調が悪くなると、よく食べます。不思議と体が薬と認識しているのかもしれませんが、身体が求めているとも言えます。今年も仕込んだ梅が、ようやく梅酢があがり、一安心というところまで来ました。家族の体調を見守ってくれている梅干しだからこそ、手塩にかけて作っていきたいと思います。
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食べて体にいいだけでなく、おにぎりの具材や日の丸弁当など食材の傷みを防いでくれたり、さらにはトゲが刺さった時に幹部に梅肉をのせてその上から絆創膏を貼ると数時間でトゲが出てきて抜けやすくなるという話も聴いたことがあります。それほど庶民に親しまれていた梅をこの機会に見直していきたいと思います。