先祖に生きること

子ども第一義の理念で、子どもの仕事をしているのになぜ自然農や古民家甦生などをやるのかと聞かれることがあります。子どもという言葉の定義も、大人と子どもという時の子どもという意味で使っているのではなく、子どもを童心といった赤心のままや初心という意味で私は用いています。

その時、子どもをことを深めていけばいくほどに祖先や祖霊、先祖とつながるのは自明の理であるのです。今の私たちがこうやって暮らしているのは、先祖があったからに他なりません。その先祖が一人でも欠ければ自分はなく、その時代時代に先祖の生き方が私たちの長所や短所になって今の私を形成しています。

つまり自分は自分であって自分ではなく、先祖の一部でありその一部は子孫の一部になるということです。だからこそ自分のことだけを考えるのではなく、子どもたちに譲られていくものが自分のいのちだからこそ修養や修身をもって子孫のために今この時を精進していかなければならないと思います。

「星の王子様」を記したサン・テグジュペリに「地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。」という言葉があります。またネイティブ・アメリカンの格言に「土地は先祖からの授かりものではなく、子どもたちからの預かりもの。」という言葉もあります。

私たちが先祖のことを思うとき、この今のことを振り返ります。するとこの今は、まさに子どもたちの未来になるのだから子どもたちからこの世代を預かっているだけなのです。この預かったもの、借りたものを利子を増やして返却するのならまだしも借金を続けたうえに全てを消費し浪費してしまったら返せるものもありません。

今の私たちが裕福に豊かに暮らせるのは、すべてご先祖の皆様の丹精によるものです。その利子を少しずつ貯めたものを私たちは切り崩して暮らしているのです。それを自分のことしか考えず目先の欲のみに囚われ使い切るばかりで、それを貯めようと遺そうとしなければ必ず未来の子どもたちがそのツケを払わなくてはならなくなります。

幸田露伴に、「分福」「惜福」「植福」とありますが、この幸福の三福を先祖が代々続けてくださったからこそ今の自分がここで生きているということです。

つまりは子どもの仕事をするということは先祖の偉業を偲び、その祖先や祖霊を省み先祖から学び、先祖として子どものために生きるということなのです。子どもたちの仕事の本質は畢竟、先祖の生き方を伝承し、改善すべきは改善し、少しでも子どもたちのために福を増やしていこうとする一生に生きることです。そして子ども第一義の理念は、「古を愛する心」と共にあります。

引き続き、子どもたちのためにも先祖への恩恵を忘れず今あることに感謝し、初心伝承を積み重ねていきたいと思います。

  1. コメント

    人は、「おかげさま」で助けられながら、「おたがいさま」で生かし合っています。それは、親子や先輩後輩、あるいは、家族、職場、地域など、同時代に生きる人たちだけではありません。時代を超えて先祖と繋がり、未来に生きる子どもたちとも繋がっています。「惜福、分福、植福」も同時代間だけではなく、歴史の中で、おたがいに譲り合うことで、真の豊かさを続けることができます。自分の生活や自分の人生を超えた「いのちの繋がり」の中で生きたいものです。

  2. コメント

    繋がっている中に自分がいることを実感すると安心します。自分って何なのだろうと考えだすと不安になりますが、ご先祖様がいて脈々と流れてきた先に自分がいると思うと、当代を守っていることのようにさえ感じます。見守っているのは自分ではなく、見守られていることを忘れずご先祖様への感謝を大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    今の暮らしでは、ご先祖様から頂いた地球の資源を切り崩しているというのは、自覚があります。地球の回復力を上回る切り崩しでは自滅を迎えます。何を未来に積んでいくのか。何を未来に残していくのか。一人ひとりが本気で考えていかなければと感じます。生き方とともに環境も残して行けたらと思います。

  4. コメント

    「先祖に生きること」そして「古を愛する心」とは、突き詰めていけば Do See Plan の生き方をすることのように感じました。今の私たちは古を否定し、古来から続いてきたサイクルと断ち切り、借り物の Plan で新たに歩み出してしまったのかもしれません。「子どもたちからの預かりもの」であることを自覚して生きたいと思います。

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