一休み

先日、久しぶりにアニメの漫画の一休さんを見る機会がありました。私の幼いころのアニメとしては馴染み深く、頓智を使って次々に難問を解決していく一休さんに憧れたこともありました。

その一休さんの代表的なコピーに、「慌てない慌てない、一休み一休み」というものがあります。これも今でも心に残っていて、今思えばとても深い教えを幼いころの意識に触れていたように思います。

この「慌」てるという字は、心が荒れると書きます。意味は、落ち着きを失う、驚きうろたえる、平常心でいられないという意味です。心は日ごろは穏やかですが、何かに囚われて執着すると心が穏やかでいられなくなり落ち着かなくなります。こういう時は、判断能力を見失い感情に呑まれたりして、平素の本来の自分でいることができなくなるものです。

一休さんが、慌てない慌てない、一休み一休みという文言は、焦らずに穏やかにいつもの通りに冷静に一呼吸置いて取り組むという姿勢を自分自身で言い聞かせていたように思います。

心がざわつくのは、何か自分の中で妄想が膨らんだり、将来の不安を感じたり、過去の嫌な体験を思い出したり、トラウマや劣等感など、様々な感情が沸き立ってくるからです。ネガティブな感情が沸けば慌ててしまい、焦ったり、急いだり、結果ばかりが気になるものです。

そういうときこそ、この「一休み」の価値があるように思います。

私たちが取り組んでいる活動の一つに致知出版社が広めている木鶏会というものがあります。この木鶏というのは、荘子(達生篇)に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさします。つまりは不動の境地を持った状態ということです。

何かあればすぐに心を動かされるというのは日々の鍛錬が足りないように思います。そういう時にはいつもこの慌てない慌てない一休み一休みと、心を無にして何事にも執着せずにお気楽にポジティブに過ごしていくことです。

禍転じて福にする、人間万事塞翁が馬と、物事の善い方へと転じていこうとする実践が一休み一休みということかもしれません。物事は自分にとって大変なことのように思えても、自分の思ってもいないところで偉大な運命が働いていたりするものです。

天を丸ごと信じて歩んでいく心が、この不動心を育むように思います。

引き続き、木鶏を目指して日々に一休みしながら実践していきたいと思います。

  1. コメント

    余裕がない時ほど、何をしても上手くいきません。「一休み一休み」という言葉には、下手な励ましの言葉よりも救われるものを感じます。人に言っているようで、自分にも言っている言葉は強いなと思います。止まるわけではなく休んだらまた動き出す山登りのように、一歩一歩歩みを進めていきたいと思います。

  2. コメント

    「心が乱れているときに意思決定をしてはいけない」と言われます。また、「人は、待たないといけないときほど待てなくなる」などとも言われますが、理屈ではわかっているつもりでも、結構、慌てるケースはあるものです。実は、一休さんの「文言」は、私自身、いまも時々使っています。ほかにもいくつか「おまじないの言葉」を持っていますが、意外と効果はあります。

  3. コメント

    きっと良いことになる。この聴福人としての眼差しが、随分と自分を助けてくれていることに気付きます。心慌てる瞬間はあれど、鎮める為の核心となってくれています。しかし、一休みと言えるほどまで丸ごと信じているかというと、まだまだ信じる心、丸ごと受け入れる心が磨かれていないとも感じます。これもまた、ゆっくりと時を信じて味わっていきたいと思います。

  4. コメント

    「忙」もそうですが、心の含まれた漢字には深い意味合いを感じ、また「字は体を表す」とも言いますが自分の心がどうなっているかは何かに表れて初めて気づくものなのかもしれません。動じない心に鍛えていこうとするよりも、動じたことにすぐに気づき一休み一呼吸で落ち着きを取り戻せる自分になっていきたいと思います。

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