「習熟」という言葉があります。
辞書によれば「ある物事に慣れて十分に会得(えとく)すること。」と書かれます。類語には、「習得する 、 身に付く 、体得する 、 自分のものとする 、覚える 、我が物とする 、マスターする 、 修得する 、 肌でつかむ 、心得る 、 極める、磨きぬく、鍛錬する、錬磨する、熟達する」などがあります。。
この習熟は、パッと言葉で教えてわかったからと簡単にできるものではなく長い時間をかけて繰り返し繰り返し続けていく練習の中で身についていくということがここからわかります。
自分のことを思い出せば様々な智慧はどうやって身についてきたかと思うと、根気強く一つのことを求め続けていく中で何回も失敗を繰り返し改善を続けていくなかであるとき、コツを掴みできるようになりました。
そのためにはいつできるようになるのかがわからなくても、諦めずに求め続け高め続けていく中である瞬間に臨界期を超えて脱皮して新しい自分に生まれ変わるという体験が必要です。
この脱皮して生まれ変わるというのが、習熟であり発達したということです。その間は、なぜこんなにうまくいかないのか、なぜわからないのかと、どうすればできるのかと日々に煩悶しますがそれでも強く変わりたいと願い、挑戦し続けて取り組んでいく中で気が付いたときには変わっていくものです。
脱皮したり変化したりするのがうまい人は、好奇心が旺盛でなんでも楽しくやっているうちに変化していきます。あまりマジメ過ぎると、そのこと自体が楽しくなくなり、つらくなりさらには焦りや臆病風が吹いてきては怖くて新しいことに飛び込んでいく勇気がでないままに動けなくなりいつまでも変わらないこともあります。
だからこそ、変わるためにはもっと大らかに明るく楽しく求めていく必要があるように思います。それは道を究めようとする心であったり、やっていることの意味に気づき、その深さや面白さを味わったり、達人や熟達した人たちにその体験談やヒントを聴いてそれを試してみたり、また仲間や友人と共に現状を語り合いながら苦労や感想を分かち合ったりと、「創意工夫」をしながらやっていくとより脱皮しやすいように思います。
変わらないからと焦ってみても、自分を責めるばかりで周りのせいにしてはかえって変わることができなくなります。
どうせある日あるときに突然に気が付くとできるようになっているようなものが「成長の本質」であり、それが習熟するということですから日々はいろいろとやり方を工夫してみてその工夫の妙を味わっていくような気持でネアカに快活に歩んでいく方がいいように思います。
諺に「好きこそものの上手なれ」とありますが、まさにこれは先人が語る習熟するための至宝の妙法かもしれません。どうやってそのものを心から大好きになっていくか、そこが脱皮の最大のヒントのようにも思います。これはあるものを磨いてそのものに深々と愛着をもっていくことに似ています。
引き続き、様々な実践を楽しみ味わいながらその一つ一つがあるとき習熟してわかりできるようになる日を心持にしながらご縁を結び、日々の磨き直しを楽しんで取り組んでいきたいと思います。
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はじめは失敗続きだったことも慣れてくると少しずつ上手くなっていきます。これも成長なのだとは思いますが、慣れだけでは成長し続けることは難しいと感じています。習得するためには、その時の一回一回が大事だと頭では分かっていても実際には上手くいかないもどかしさもあります。失敗も成長の糧としていけるよう学び続けたいと思います。
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ものごとは、「回数」を重ねれば、それなりに上手くなっていきます。したがって、「習熟する」ために必要なのは、「続けられること」でしょう。「必要性」も続けるための理由になりますし、「真剣さ」という意味では、上達に繋がりますが、「コツをつかむ」には、楽しんで工夫し続けることがいちばん有効でしょう。人には、能力や器用さの違いがあり、習熟スピードは違いますが、最も大事なことは、「圧倒的な量を平気でこなせる」能力ではないでしょうか。
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RMを受け持つ数が増え、お伺いさせて頂く回数が増えていくと、自然と聴福人としての生き方や、一円対話、聴福人MTGが楽しくなってくるタイミングが最近来ました。それは、頭で理解したり、分かるということではなく、「楽しい」という感覚です。「好き」という感情です。「良い」と思える心情です。頭で覚えなくても、楽しんで好きで、良いと思っている状態だと、一緒に一円対話をすると面白いと感じられるシーンがたくさんあります。成長のタイミングはどこかで自然とくるというものですが、その自然とくるタイミングも、当たり前ではなく、たくさんの機会を頂いているからなのだということを忘れないように、謙虚でありたいと思います。
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先日の先生方との語り合いも、その目的以上に刺激を受けるものがあり、あの場自体が創意工夫であることを感じました。一人では成しえないこともあのように皆で智慧を出し合っていくこと、誰かの発信が他の誰かの何かを引き出していくこと、そんな学び活かし合いの環境の中でこそ人は成長していくものだと感じます。自分自身がそんな環境になっていきたいと思います。