天神様の生き方~和魂円満~

来月の天神祭にあわせて準備を進めていますが、改めて菅原道真公の遺徳を感じることばかりです。もう1100年以上前の人物が、今も大切に祀られ子孫である私たちを見守ってくださっているだけですごいことですが、至誠の神だけでなく、雪冤の神、正直の神、文學の神、書道の神、相撲の神としてあらゆる分野で先祖たちは畏敬の念をもって接してきました。

また「和魂漢才」といって、日本固有の精神をもって外国から伝来した学問を活用する模範となった方でもあります。

人生としてはたったの57年ほどのもので、その最後は冤罪によって大宰府に送られましたが真心が天に通じてその後に人々に至誠を盡すことが大切であることを生き方で伝道された方でもあります。

その切り拓かれた道を、後世の人たちがその時代時代に続いてきたからこそ今もその恩徳や霊験が大切に信仰として遺っているように思います。

江戸時代の復古神道の大成者の平田篤胤が記した「天満宮御伝記」というものがあります。道徳の規範として、菅原道真公の生き様、またどのような恩恵があるかについて記されます。

「仰天満宮世に在ませるときは、第一に神を尊び御二親に御孝行にましまし、君にはよく忠義を盡し給い、もの読み手跡を好み給ひ、御心正しく直に坐ませる故に、神となりても世人の忠孝の道を守らず正直ならざる者は悪み給ひ、読み書きをきらふ物をば恵み給はねば、能能親の示し、師匠の教えを忘れず守り、主に事へては大切に勤め心を正直に持ちて偽はる事なく、読書手習ひに精出して、天満宮の御心に叶ふやうに心を持つべし、もし此事を守らざれば、天満宮の御罰蒙りて遂には禍を受べし」

とあります。

何を大切にすることを天満宮が示したか、どのような生き方をすることが学問の意味であるか、千年を超える信仰の中に私たちはこの教えにより繁栄を続けてきたことを実感します。

小さな島国において、和魂を盡しつつその才を活かし伸ばすということが風土が顕現した学問の原点です。

私は「和魂円満」という言葉を用いますが、この円満は天満と同じ意味になります。八百万のものを受け容れながらそのものを丸ごと活かす境地こそ、学問がある高みに達してその学問を大成した証になるように私は思います。

天神様の教えが、如何に幸福な生き方を私たちに伝承されてきたか。日本人が今の日本人になるために偉大な師匠であったことを改めて実感します。生き方や生き様な燦然と輝く天満宮を、古民家甦生信仰の柱にしたいと思います。

  1. コメント

    今のこの時期、梅の花が咲いているのは見られませんが、意識していると模様として使われ見かけることがあります。可愛らしく用いられたりしていますが、芯の強さを象徴するような姿に惹かれるものがあります。道真公が亡くなってから千数回梅の花を咲かせ、時代を超えて同じ梅を眺めていると思うと近さも感じます。道真公が目指した生き方から学んでいきたいと思います。

  2. コメント

    「信仰」には、「平穏無事や御利益を願うもの」や「日々の感謝を表すもの」もありますが、一方には、「人間としての理想像を学ぶもの」もあります。それは、「尊敬」であり「敬愛」であり、「敬虔さ」でもあります。理想の姿に一歩でも近づこうと精進する生き方が暮らしの中にあるということは、とても大事なことではないでしょうか。

  3. コメント

    なぜ学問をするのか。その動機が大切だと改めて感じます。学ぶことが目的になっては学びではなく、生き方を問われるタイミングが来るまでを勿体無い時間としてしまうように思います。子どもたちとの対話の中でも、なぜ学ぶのか、そのことを一緒に語りあえるように、自分自身が学問を深めて行きたいと思います。

  4. コメント

    昔の日本人が生き方から実践していた「信仰」というものは、今の時代の「信仰」とは全く深さが異なるように感じています。それが身体に沁み込むような、当たり前の姿になるためには、長年の小さな積み重ねが必要であり、決して間を抜くような近づき方は出来ないのだと思います。感謝の心でじっくりと歩んでいきたいと思います。

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