天神祭に向けて梅を深めていますが、梅の花の紅白について考える機会がありました。梅は一つの木で、紅色や白色に咲く花もあり、紅白美しく咲く様子にはうっとりするものです。菅原道真公もこの紅白の梅の花を一生愛した人物だったといわれます。
紅白の由来には諸説ありますが、赤色が赤ちゃんというように出生を意味し、白色が死装束の色のように死や別れを意味するところから、その 2つの色を組み合わせることによって「人の一生」を顕すという説、また花嫁衣裳の色であるという説、赤飯を炊いて祝っていた説などが主な由来とされています。
紅白歌合戦などの紅白は、むかし源平合戦が紅色と白色の旗印で行われたことから名づけられたという説もあります。日本の国旗もまた、この紅色と白色の2色で彩られます。
この紅白の持つ意味は、私たちが思っている以上に深く日本人の精神に大きな影響を与え続けているのかもしれません。
菅原道真公も梅の木に自分を照らしながら歩んだ一生だったのではないかと私は思います。梅の詩には、その梅の木をまるで父母ように慕い愛した心情を私は感じます。
「梅の花 紅の色にも似たるかな 阿古がほほにも つけたくぞある」
「月の輝くこと晴れたる雪の如し 梅花は照れる星に似たり 憐れむべし 金鏡転じ 庭上に玉房の馨れることを」
この2つは、幼少期に菅原道真公が詠んだ詩です。両方の詩には、梅を憧れの先生のように素直に慕っている心情が読み取れます。
中国から伝来したもっとも君子を顕す梅と共に自然から学び自らの魂を高め続けた菅原道真公の姿が梅の姿から観えてきます。
同様に、天神様を信仰する学問の志士たちは「梅花香自苦寒来」を信じ、どんな境遇においても常に独り慎む君子のように「高潔」を顕す梅の徳を君子に見たて、その紅白の花を咲かせる梅のように歩みたいと梅を師とし、友とし、伴侶として歩んだのかもしれません。
不遇の生涯であっても後世のために使命を果たした大徳、中国の孔子のように私はこの菅原道真公の功徳の偉大さを感じます。私にとっては、菅原道真公は日本における孔子の役割を果たしているように思います。
高潔な一生を生きる梅の徳を梅の生き方から学び直し天神祭に向けて、学問を深めていきたいと思います。
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一本の梅の木に「紅白の花」が一緒に咲く木を、「紅白咲き分け梅」あるいは、「源平咲き分け梅」というそうですが、「めでたい紅白」と「合戦の紅白」では、随分イメージが違います。一般の白梅は、幹の中も白く、紅梅は幹のなかも紅いと言いますから、本来はそれぞれなのかもしれません。高貴、高潔でありながら「紅白に咲き分ける梅」に、日本人は何を感じ、何を求めてきたのか?!改めて探求してみたいと思います。
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身近に親しみながらも、知ってるようで知らない梅のことに驚かされます。知らず気づかずではありましたが、道真公に見守られていたのだと感じます。天神祭のお陰で日々の暮らしに根付く様々なことが道真公に由来するものであることも知りました。ずっと、子どもたちも見守っているように、引き続き学びを深め自分も頂いたものを恩返ししていけるよう精進していきたいと思います。
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菅原道真公を信仰するということは、道真公自体よりも道真公が観ていたもの、師としていたものが何であるかを突き詰めることなのかと思うと、そこに梅の木という自然の姿があるのは感慨深いものがあります。人間都合にはならない普遍的なものを自然から学んでいった先人たちの生き方を見習っていきたいと思います。
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梅を大切にしてきた姿は、大阪のある方を連想します。自分の木でなくとも、大切な友人の梅の木だからと、ご夫婦で今も大切にし続ける姿は、お二人から教えて頂いた、人が喜ぶ生き方という言葉を連想しました。頂いたご縁に恥ぬ生き方をしていきたいです。毎日を道場として、視座を高め、実践を深めていきたいと思います。