高潔な心情

菅原道真公を深めている中で和歌からその心情を読み取ることができます。特に九州に移動してからの歌には心に響くものが多くあります。あらぬ冤罪をかけられても、いつの日か真実が伝わり都へ帰れるという希望があります。

和歌にはそのままに清らかな心が映っているものがあります。自分のその時々の心情を自然の情景に照らして詠んでいるものは特に共感が深まります。

このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま) もみぢの錦神のまにまに」

「ふる雪に 色まどはせる梅の花 鶯のみやわきてしのばむ」

花とちり 玉とみえつつあざむけば 雪ふる里ぞ夢に見えける

和歌はそのままに情景を照らしていけば、心に染み入るものがあります。自分の境遇がつらく苦しい時に詠んだあるがままの歌には、純粋な心が顕れます。どんなことがあっても清々しさを保つ菅原道真公の生き方が詠んだすべての和歌に顕れています。

私が和歌の中で、もっとも菅原道真公のことを感じるのがこの和歌です。

海ならず たたへる水の底までに きよき心は月ぞてらさむ」

意訳ですが「月の光が海の水の底まで照らしてくれるように、清らかな私の心も一緒に照らし出してくれるだろう。」と。

心が沈んでいても、清らかな光は月が照らしてくれているという心情のように私は感じます。清らかさを保つというのは、高潔であることでどんな境遇であったとしても美しい花を咲かせ続けて実をつけていこうとするような梅の花のような生き方です。

この日本的な精神、穢れを取り払い、真心のままでいるという姿はまさに私たちの先祖が大切にしてきた精神そのものであったように思います。本来の菅原道真公が目指した生き方を、私たちもそこから学び直して、子どもたちに伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    偉人と呼ばれる方々の生き様で敬愛するのは、いかなる境遇にあろうとも、いつも「ひとつの態度で生き抜く姿勢」です。対人関係であっても、相手によって態度を変えるようなことはなく、対事件においても、保身の入る余地がない「絶対的な態度」で生きておられます。この純粋な「強さ」が、その人物の高潔さを現しているのでしよう。

  2. コメント

    人柄が滲む和歌にきっと何遍も書き直し、想いを載せたのではと感じます。和歌は書くのではなく読むでもなく、詠むというのは現代に通じる大切なことなのだと感じます。自分自身の想いを発信することは身の潔白を証明するものでもあったのかもしれませんが、純粋に和歌の世界に惹きこまれるものがあります。和歌の世界にも日本の智慧が詰まっていると思うと、探求する面白みがありそうです。

  3. コメント

    自然と心を繋げてこのように表現できるということからも、昔の日本人の自然への寄り添いのつよさを感じます。今は大きくて激しいものばかりが目に留まるような時代のように思えますが、暮らしというものを見直していくうちに、もっとシンプルで些細なものの中に味わいがあるように感じられてきました。そこにある心を感じていきたいと思います。

  4. コメント

    困難や厳しい環境を乗り越えて咲く梅の美しさは、周りへの勇気となることを感じる機会を頂きました。梅と触れる機会があることに、聴福人としての姿勢のように感じるようになりました。物事を見て感じることは、視座の高さから変わるかと思いますが、世のために引き続き、先人が見てきたものから自分の視座も高めていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です