自然環境と共にある野性の生き物たちと触れると、野生の本能が観えてきます。媚びずあるがままに自然にある姿はどこか凛としていて、その美しさに感動するものです。
私たちは自然環境とは離れたところで生活しており、野生の本能は教育などによって次第に減退していきました。昔からもっていた五感は不必要となったことからその代わりに脳を肥大させていきました。
現在では、その脳の肥大の象徴のように人工知能が発達してきて人間に取って代わるほどになってきました。また仮想空間が現実よりも現実化してきたことで、さらに自然とは切り離されていくように思います。
人間らしい人間、人間であるということの原点も五感の減退と自然環境とのかい離によって失われようとしています。改めて私たちは野性の生き物たちが自然と共生しながら生きていく姿から本来のいのちの美しさを見つめ直す必要があるように私は思います。
自然はそもそも野性ですから、野性の性質によってそこにある生き物たちを野性化していきます。自然の野性はあるがままでそこで地球の姿そのものをいのちは顕現させます。つまり野性に生きているものは、地球本来の自然の姿そのものに近づいてそのものと一体化していくのです。それは自然はみんなで一つ、みんなが一つだからです。
私たちが観ている野性のいのちは、地球や自然のいのちそのもの象徴でありそれを観ることで私たちはその一つの光景に美しいと心が感じます。心が感じるこの美しさと懐かしさは、地球や自然と一体になって生きる丸ごと一つの融和の仕合せを五感で感じているのです。
野性を磨くというのは、自然本来のものに自ら溶け込んでいくということです。生きる力というものはこのいのちがもっとも燦然と輝く場においてその本領を発揮されるのです。
引き続き、人類の子どもたちにいのちの原点が譲り遺せるように人間として人間らしい進化の姿を譲り遺していくために挑戦していきたいと思います。
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田舎に帰ってくるとホッとする、あるいは大自然に接すると溶け込む感じがするというのは、体というより魂が本来の姿を取り戻し、いのちの鼓動の一体感を味わうからでしょうか。人間は、慣れてしまうと都会生活もそれなりに何とかなってしまいますが、ほんとうは違和感を覚えているのかもしれません。「慣れる」「適応する」という能力に注意したいと思います。
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昆虫が行き交う姿や太陽が沈んでいくことも、自分が知らないだけで繰り返され、その光景を目の当たりにすると心に染み渡るものがあります。今、自分が見ている光景を少しでもこの先の子どもに譲っていけるよう、頂いている一つ一つの機会を大事にしていきたいと思います。
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都会のビルの中にいれば太陽の照りつける暑さを感じなくなり、地下道を通れば降りしきる雨も感じなくなります。不都合だと思ってそれを感じなくて済むようにしていった結果、快適にはなる分、共体験の機会も減ってしまうのかもしれません。この田舎暮らしの不便さの奥にあるものを感じていきたいと思います。
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テレビでは仮想世界で協力し、助け合い、知恵を出し合い、仮想世界を悪から守ろうという、今月末から始まるオンラインゲームのCMが流れていました。月末までまだ時間がある中で、事前登録者は既に100万人を突破しているそうです。びっくりしています。家にいても、繋がれる、冒険が出来る。ワクワク出来る。これは確かに魅力的に見えますが、実際の自然のなかで行う体験とは全くの別物です。最近では、山や川、海で事故が多発し、報道され、危険だから近寄らない方が良いという風潮もあります。しかし、もっとも危険なのは、山や川や海の危険さを知らぬほど、また引きどころが分からぬほどに自然との触れ合いや体験が不足していることだと感じます。小さなころから、小さな危険を体験し、積み上げていくことが大切なのだと感じます。