日本には古来から民族が信仰してきた伝統があります。それはいつはじまったものか、誰がはじめたものかは神話までしか遡れませんが今でも日本人の暮らしの中に残存しているものです。
例えば、八百万の神々というものや自然への畏敬を崇拝しているところにも観られます。私たちは無意識に山川草木のすべてにカミを見出し、すべての物にも魂が宿っていると信じて勿体ないいのちと大切に接してきた民族だといわれます。
その根底にある古来からの信仰が日本の伝統的なしきたり、年中行事の根底に息づいているともいわれます。それがここにきて、西洋から流入した生活文化に影響を受けかつての伝統のしきたりも年中行事も失いかけています。それはグローバリズムの影響を受けたのは一目瞭然ですが、未来の子孫の安らかな暮らしを思うとき、私たちの世代で体験し気づいて反省したことを私たちの世代で改善していかなければと強く思うのです。
大きなことを言うのは簡単ですが、一人ひとりが自ら気づいてそれを実生活の中で改善していくことが世界を易えていくことです。そういう意味で伝統的なしきたりや年中行事を現在の暮らしの中に甦生させ創新することは最終的な世界の平和にも貢献していくことができます。
ハチドリの一滴ではないですが、民族の文化甦生の小さな日々の実践こそが世界の平和、人類の共生と繁栄に偉大な影響を与えると信じているから私たちは暮らしの甦生に取り組むのです。
話を戻せば、住環境の変化というものは古民家甦生を通して改めて実感することばかりです。昔は、農耕を主としその土地に住み、その土地から離れることはありませんでした。自分たちが生まれた土地を守ってくれる神を産土神とし産土神を祀る社を作り崇拝するようになりました。その土地に根付く存在として、その土地と共に大切に歩むという古来からの精神も美しい風土を守るための智慧の一つです。
今では若い人はどこにでも引っ越していきますし、マンション住まいになれば仏壇も神棚も置かなくなり、床の間もなく年中行事なども失われています。数千年、あるいは千何百年もずっと続いてきた伝統的な暮らしが失われる責任を私たちは感じなくなってきているのかもしれません。
民族が大切にしてきたものがなくなるというのは、民族がなくなるということです。日本民族が世界の中で多様性の一つとして世界貢献に発揮するためには私たちはその文化を今の時代でも昇華して世界に発信していかなければならない使命があります。子孫を思うとき、子孫はその伝統に見守られ世界で活躍していくのです。
改めて、日本民族の古来の信仰を学び直しそれをどんな小さな形でも子どもたちに譲り遺していけるように小さな種火を探し出しその火を絶やさないように守り続けていきたいと思います。
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「信仰」はもともと「暮らし」とともにあり、すべての「行事」も暮らしそのものでした。それが、いつの間にか「信仰」が切り離されて、「暮らし」そのものが変わってしまいました。「行事」もその意味を見失い、形骸化してイベントになりつつあります。そういうなかにあって、お盆のように、まだ受け継がれているものもあります。単なる休暇になってしまわないように、丁寧に過ごしたいと思います。
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お盆に親族が集まると、大抵誰かが田舎には何もないと言います。確かに高層ビルも娯楽施設も少ないですが、お盆のためあっちの家でも、こっちの家でも人が出入りしているのを見ると、ここにしかないものも感じます。日本に生まれながら、これまで大事にされてきたものを知らないと、初めて見る海外の光景のようにさえ感じます。自分自身が学び直し大切にしていきたいと思います。
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ここ田舎の地では美しい田園風景が未だに残っています。山々に囲まれた中で稲の実る姿を観ているだけでも心が豊かになっていくように感じられます。実際には人間が育てている訳ではありませんが、こうして自然の力を借りて自らものを作るということをしなくなると、作る大変さがわからなくなり、壊すことも失うことも容易になってしまうのかもしれません。改めて、失わないためにも産み出す苦労もまた同時に知っていきたいと思います。
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改めて妻の実家でお盆を過ごすと、本来は私自身が東京でこのお盆という大切な習慣を実践していかなければと感じるとともに、何を大切に準備して実践していけばいいのかをここで学ばせて頂いていることに気づきます。毎年7月に我が家では簡単にお盆の行事を行っていましたが、来年からは改めて過ごしていきたいと思います。