本日で盂蘭盆会が終わり、いよいよ送り火をしてご先祖様を送り出します。私の小さい頃は近所の川に精霊送りというものを行っていた記憶がありますが、今ではゴミ問題などがあり禁止になっています。これは藁で作った舟にお供え物や飾り物を乗せた精霊舟、またたくさんの灯篭を流して、さらに病気や災いも一緒に流すという意味があったといいます。
送り火というのは御先祖様があの世に帰るときにその火に乗って帰られるからと信じられています。火と共に訪れて、火と共に帰っていくという仕組みですが火の精霊を通して私たちは御先祖様の心を静かに感じ取っていたのかもしれません。
古代の日本人は常に精霊と共に暮らしを営んできたといいます。精霊とか幽霊とか今はそれは非科学的だと馬鹿にする人もいますが、それは現代ではかつてからの信仰が変わってしまったからに他なりません。
精霊については感じるものですが、その説明書きはウィキペディアに書かれています。
『古代日本では自然物には生物も無生物も精霊(spirit) が宿っていると信じ、それを「チ」と呼んで名称の語尾につけた[2]。古事記や風土記などの古代文献には葉の精を「ハツチ(葉槌)」、岩の精を「イワツチ(磐土)」、野の精を「ノツチ(野椎)」、木の精を「ククノチ(久久能智)」、水の精を「ミツチ(水虬)」、火の精「カグツチ(軻遇突智)」、潮の精を「シオツチ(塩椎)」などと呼んでいたことが知られている。また、自然界の力の発現はその精霊の働きと信じ、雷を「イカツヂ」、蛇を「オロチ」などと呼んだ。こうした精霊の働きは人工物や人間の操作にも及び、刀の力は「タチ」、手の力は「テナツチ(手那豆智)」足の力は「アシナツチ(足那豆智)」、幸福をもたらす力は「サチ(狭知)」などと呼ばれていた。人間の生命や力の源が、血液の「血」にあると信じられたところに、「チ」が起源しているとも言われている。土(ツチ)、道(ミチ)、父(チチ)も同じ考えが表現されたものと見ることができる。また神話や古代氏族、とりわけ国津神系の氏族の祖先には「チ」を名称の語尾につけているものが見出される。神話では「オオナムチ(意富阿那母知)」や「オオヒルメムチ(大日霎貴)」、氏族では物部氏の「ウマシマチ(宇摩志麻治)」や小椋氏の「トヨハチ(止与波知)」などである。神名や人名の語尾(正確には「〜神」、「〜命』の前の語)に「チ」がつく名前は最も古い名前のタイプで、草木が喋ると信じられていた自然主義的観念の時代を反映しているものと考えられている』
諺に「一寸の虫にも五分の魂」とありますが、小さな小虫や道具や物に魂がないと粗末にすればひどい目にあうものです。
日本人は精霊を信仰していたのは、火や水、土や風も生きていると感じていたからです。自然から離れればそんなものは感じないのでしょうが、自然と一体であれば他の虫や植物、動物たちのように水や風の流れを感じて暮らしを営むのでしょう。
古代の日本人の先祖がどのように生きてきたか、私はこの迎え火と送り火の中に感じます。この期間、私も常に炭を熾して火をかけていますがこの火の周囲に落ち着いた明かりが灯ります。
御先祖様が感じた光、ご先祖様のぬくもりを今に感じながら子孫のために私も先祖になっていきたいと思います。
コメント
「自然」にも「もの」にも「よく情が通じる」、それが「日本人」であると言われます。そこに「繋がり」が生じてその「いのち」を確認し合うのでしょう。それは、「存在の証明」ではなく、情が通じることによる「いのちの確信」です。特に、「喜びや悲しみがわかること」この感性を見失わないようにしたいものです。
コメント
精霊流し、灯篭流しを実際にはないのですが、毎年この時期TVニュースで観ると、惹きつけられるものがあります。夕闇に灯る火は怖さよりも温かさを感じます。普段以上にご先祖様を身近に感じ、感謝を伝えられるのも有難いことです。決して、毎年のイベントではないことを肝に銘じ、ご先祖様への日々の感謝を大切にしたいと思います。
コメント
昨日は寺の境内で盆踊りが行われました。夜の寺といえば不気味な感じもしそうですが、提灯が灯り地元の方々が集う姿は不思議な空間でもあり、夜の灯りに惹きつけられるかのようでした。以前お聴きした「本来の祭りは夜、神様の時間は夜だから」という言葉にも通じるものを感じます。昔からこの世もあの世もあまり境目がなかったのは、日頃から目に見えないものを感じてきた民族だからでしょうか。
コメント
今までは自宅でのお盆の儀式はお墓参りと父親の骨が一部眠る海に参るだけと簡略化していたのですが、今日、実際に自宅で送り火を行う際に子どもたちに説明をしていると、本当に部屋にご先祖様や精霊が返ってきているというような気持ちがしてきました。マンションなので自宅の玄関外やベランダではできないため、マンション自体の玄関先で陶器の上でおがらを燃やしてお祈りしたのですが、過ぎ去る人々が皆、ほほえましい顔をして挨拶をしてくれたのが印象的でした。目に見える存在を感じられる自分たちでいられるように、行動をまたこれから改善していきたいと思います。