歴史を学び直していると、後世に名誉回復した人たちがたくさんあることに気づきます。その当時は意図的に罪を被せられ歴史から消された人物であったとしても後世にその本当の業績や遺徳が遺志を継ぐ人物から見出され再び燦然とその価値が世の中に認められるのです。
菅原道真公もそうですが、他には楠正成公や最近になると杉原千畝氏なども有名です。歴史は勝者の歴史ですから、都合が悪いことはほとんどが燃やされて消されます。しかしのちに、その恩恵を受けた人々や遺徳を偲ぶ人たちが活動をしてその人の名誉を回復するのです。
同様に名誉回復をした人物に西郷隆盛があります。「敬天愛人」を貫き、人を相手にせず、天を相手にせよ、天を相手にして己を尽くし、 人を咎めず、 我が誠の足らざるを尋ぬべしという一生を送りました。
その西郷隆盛も亡くなった後に、政争で破れて朝敵として歴史の汚名を受けていたところ明治天皇、黒田清隆、勝海舟をはじめ多くの人たちが名誉回復のために奔走していきます。
誠心誠意生きた人は、たとえ汚名をかけられていても必ずその汚名は恩恵を受けた人々によって浄化され澄んでいくのかもしれません。それはまるでもともと美しく澄んだものが、泥をかけられて見えなくなっていたとしても時という川の流れの中で水が泥を押し流して最後は透き通った砂利が見えてくるかのようにその本来の姿や真心が顕れてきます。真心は隠せず、真心はいつの時代も風化せずに永遠に時空に輝くのかもしれません。
歴史の面白さというのは、教科書通りに読むのではなく生き方を見つめよく深め、本当はどうだったのかともう一度見直して後世になってその価値を見つめ直す中で出てきます。
生き方を学ぶにも、未来を見通すとき歴史は常に私たちの先生です。
今の時代や世間の評価ばかりを気にして生きるのではなく、未来に生きる子どもたちのためにも歴史が観照することを信じて誠実に理念を貫いて実践していきたいと思います。
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一人の人生の価値は、その時代だけを見てもわからないことがあります。その人がどんな役割を果たしたのか、その人によって、未来が豊かな方向に動いたのか、それとも凋落に繋がったのかということは、歴史が証明していきます。したがって、正しい評価には、やはり一定の時間というものが必要です。多少、時代の価値観が変わっても、「ほんものは風化しない」ということもを信じながら、丁寧に学びたいと思います。
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歴史は自分一人では体験し得ないことを学べ、実生活に活かすことができます。それは自分だったらどうするかと、今だったら何ができるかを問われているようにも感じます。物事の是非ではなく、片方から見るのではなく本当は何かということを考え活かしていくことを大事にしていきたいと思います。
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自分自身の歴史も、黒歴史とするのか、転機とするのかも違いがありますし、人から見た歴史とにも相違があります。しかし、今日のブログを読み、大切なのは時という川の流れを信じて川自身が喜ぶように生きていく事なのかなと感じました。振り返り、流れを信じて生きて行きたいと思います。
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勝者の都合というのは今もヒシヒシと感じるものがあり「歴史」という言葉があらわすものの大きさを感じます。その人の持つ歴史観がその人自身をあらわすとも聞いたことがありますが、何が正しいではなく、それをどのように観るのかが大切なようにも思えます。歴史に残る人々の生き方から本物を観ていきたいと思います。