以前、ある人にこんなことを言われたことがある。
「こんなことをして相手にどう思われているのか気にならないのですか?」
それは生きている以上、他人が自分をどう思っているかはとても気になるものだ。できる限りの配慮はしながら、自分の主張は通そうとは常日頃から苦心している。しかし、それだけをずっと考えているかというとそうではない。
「自分が相手をどう思っているか」の方を大事にするようにしている。
相手からはどう思われたいと思うのは確かにある。
しかし、それをどうしても白黒つけたいと思っている人がいるけどそこまではない。常に好きか嫌いか、敵か味方かと相手の心は分からないのにそればかりに執着する。でもそれは自分が確立できていない証拠だと思う。
好きか嫌いか、はっきりしたいのはそれを聞く本人なのだと思う。
私にとっては、相手よりも私自身がどう思っているかの方が大事なことだ。
色々とこの世の中にいれば、立場上、色々な柵を持っている方々もいる。
それに、何かよからぬキッカケがかなさり誤解されることだってある。
集団になると、小さな噂が間違った事実を広げることだってある。
マスコミに報じられればもはや正しく伝わることはない。
どう思われたいと思っても人は主観があるからどうしても好き嫌いはある。
でも、ここで大事にしたいと思うことがある。
それは、「こちらが愛している」という事実があればそれ以上は両方忘れてしまえばいいのだと思う。
ある感情をもって白黒つけたいと思うくらいならば、両方なくして素のままの在るがままの心で接していけばいいのだと思う。
感情は鏡のように自分の心へ透写する。
せっかく大事な自分、大事な本質があるのならばそう関わりたいものだ。
コメント
相手が自分のことをどう思っているのかいつも気になっているのは、人から嫌われたくないと思っているからだと思います。
自分都合になっていると伝わりにくいメールになってしまうので、やり取りには特に気をつけたいと思います。
普段から相手のことを思ってやり取りをすることで、園に訪問する時でもできるように、相手に対しての思いやりを忘れないようにしたいと思います。
初めて会う人や、誰に対しても思いやりを持てるように明日から意識して過ごし、いつか意識せずにできるようにしたいと思います。
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相手にどう思われるかではなく、自分がどう思えているかどうか
どう思われているかと相手を意識し続けていると勝ち負けの話ではないのですが、
相手から思われている範囲からは越えることが出来ないのだと思います。
自分がより相手の事を思い、自分から変わっていくことにより相手へも伝われば
よりお互いにとってのいい刺激になるのではないかと思いました。
ある意味相手のことよりも自分のこと、自分がどれだけ思うことが出来たかどうかを
自分の中でも大事にし、相手に合わせない生き方をしていきたいと思います。
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今の仕事をはじめてから、私自身も自分の行動や言動が相手からどう思われているのか?気になって仕方がなかった事が多く在ります。振り返ると果たして在りのままの自分でいる事が出来たのか考えさせられます。今では研修を通して何を大事にすべきか日々考える時間を頂いています。研修で何かを行う事も確かに大事かもしれませんが、もっと大事なのはどれくらい相手の事を大切に思い続ける事が出来ているのかではないかと思います。相手以上に園の事や子どもを思う気持ちはきっと伝わる事を信じこれからも思う気持ちを大事にしたいと思います。