昨日から恩師に郷里の聴福庵に来ていただきご案内しながらおもてなしをさせていただき御蔭様でとても味わい深い一日を過ごすことができました。思い返せば、人生の出会いの中でも自分を変える大きな転換期に恩師とご縁をいただき導いていただいた御蔭様で今があります。
人間は誰もが平等ですがもっとも運を育てるのは、尊いご縁に気付けるかどうかでその人生の選択を左右していくものです。それは自分がどのような志で生きていくか、何を求めているかで自分に与えられた天与の道が開いていくのも同じです。そしてその道によって自分の求めているものが明らかになって意味づいていくことで仕合せが訪れます。
人々は恩師からは天与の道をどのように歩めばいいか、それを目的地よりも大切な生き方を教わります。それが師の存在の有難さです。その師恩は遠大であり、返そうとしてもそう簡単に返せるものではありません。だからこそ次の世代に自分と同様に、道を求めるもののために次の道を繋いでいくことが誠の道であり、また恩師への大切なご恩返しになると私は思います。
今日は此処で第一回の天神祭の勉強会を実施しますが、菅原道真公からいただいた学問の恩恵、和魂円満を恩師と共にお祀りできることに無二の仕合せを感じます。
時代が変わっても恩義に報いていくという生き方は、誠の道として遺ります。
引き続き、子どもたちのためにも大切な清らかに澄んだ心で丹誠を籠めて楽しく豊かに道を歩んでいきたいと思います。
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「師」とは、自分の道を歩いて見せてくれている人であり、そこに「生き方」があることに気づいて、自分の道を歩こうとするのが、その「弟子」でしょう。その弟子が、懸命に自分の道を歩いている姿に「生き方」を見つけた人は、その人を師として、また自分の道を歩むようになるのでしょう。そうして、師と弟子が連綿と繋がっていくなかに、大道ができるのではないでしょうか。
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いつかこんな日が来たらと話してからの月日はあっという間だったように感じていますが、これまでのことを考えるとこの間にたくさんのものを頂き、たくさんのことがあって今日という日を迎えられたことを思うと、感慨深くなります。ここからまた問いをもって学んでいくということを大事にしていきたいと思います。
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学ぼうとする力が強いから、「聴きたい」。何故聴けるのかということを質問させて頂いた際に頂いたお言葉に、「学問」という姿勢を教えて頂い気がしました。「師」を持たないとおっしゃっていましたが、反対に話す人だれをも「師」として学ぶ気持ちで聴いていたという言葉からは、誰かだけを師とするよりももっと広い好奇心や学ぶ心を感じました。
良い体験は良い自分を引き出してくださるような気がしました。
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昨日ある先生からなぜこんなことが始まったのかと聴かれ、そのいきさつや、ここに至るまでの経緯を話しましたが、「なぜ始まったのか」とは決して今話せるものではなく、数年後に初めてその意味がついてくるものなのかもしれません。この第一回目の天神祭を皆で行えたことに感謝しつつ、また学問を深め来年へ。導かれて今があることを忘れないようにしたいと思います。