日本ではまだ瓦葺きの屋根を見かけることが多くありますが、今の瓦になるには長い年月をかけて創意工夫された歴史があります。はじめは寺院を中心に、その後は、城郭に、しかしその後、庶民の町家などに採用されるまでには数々の工夫が施されています。
瓦の歴史を調べているととても大きな転換期があることに気づきます。安土桃山時代から江戸時代初期まで瓦葺きの建造物といえば寺院か城郭がほとんどで一般人の居宅に瓦が用いられることはほとんどなかったといいます。それまでは瓦屋根は本瓦葺といって、平瓦と丸瓦をセットで組み合わせて葺くものでどうしても重量がかさみ、建物自体の構造がよほどしっかりしていないと採用されておらず頑丈に造られた寺院や城郭に用いられました。
そこでこの平瓦と丸瓦を一つにまとめた桟瓦(さんがわら)というものを1674年近江大津の人で西村半兵衛が発明します。ちょうど江戸幕府は繰り返される大火に悩まされており火事による被害を最少限度に食い止める方法を模索していました。その際に、屋根を瓦葺きにし壁を漆喰で塗り腰高までをなまこ壁にしました。そのころから町家や商家では、土壁と瓦葺きが広まっていったのです。
昔の古民家といえば、茅葺屋根を連想する人が多いと思いますが街道沿いや都などは瓦葺きがほとんどです。耐水、防水だけではなく耐震や防火にも優れた瓦はまさに日本の風土に適応しながら変化してきたとも言えます。その陰には、職人の方々の創意工夫と共に瓦は今でも日本の文化として息づいているともいえます。
しかし今では、洋瓦をはじめ屋根はスレート瓦、セメント瓦、ガルバリウム鋼板、ジンカリウム、ステンレス、ファイバーシングルなど、本来の瓦とは異なる素材のものも瓦と同様に用いられています。安価で便利に手に入る化学合成の素材や金属の屋根が開発されてから、それまでの本来の瓦ではなくなっていきました。
半永久的に日本の風土で維持できる瓦が失わる理由は、建物自体がそんなに長い間持つものではなくなってきているのもあるのでしょう。古民家が失われ、現代建築が主流になった今では数百年の家のための道具ではなく数十年持てばいいのですからそういう素材の方が販売もしやすく手軽です。最近では寺社仏閣でもそのような瓦風のものが導入されてほとんど本物と見分けがつかないものです。
職人が悠久の年月、子孫のためにと創意工夫を重ねてきたものが失われてしまえばもう一度それを甦生させるというのは至難のことです。
これから瓦葺きに取り組むに際し、西村半兵衛氏が発明したような価値の転換が必要になります。改めて、子どもたちのために復古創新ができるように引き続き丁寧に瓦と日本文化を深めてみたいと思います。
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大火をきっかけに試行錯誤がなされる背景には、今も変わらず大切な人を失いたくない思いがあるように感じます。今実践している一つ一つも震災をきっかけに生き方を見直すものであることを改めて思うと、この間に何を自分は生み出してきただろうかと思います。瓦の歴史を知り、その想いを想像すると、本当かどうかは別にして気持ちの入り方が変わります。日本家屋における瓦とは何なのか学んでいきたいと思います。
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昔の日本人は、「何年持てばいい」というような発想でものをつくってこなかったでしょう。壊れれば修理しながら使い続ける。そのために、修理可能なようにものをつくってきたのではないでしょうか。いつからか、「修理するより買い替えた方が安いとか、早い」と言われるようになって、ものづくりの本質を見失ったようです。経済原理というものの根本思想を確認する必要があるかもしれません。
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取り組む前には不可能かと思えるようなものでも、実際に皆で協力し、更には不思議なおかげさまのチカラをいただいて、井戸掘りも桶運びも何でも進めることが出来ていることを思うと、やるほどに、深めるほどに、次の機会は自然とやってくるもののように思います。この瓦葺きも何に繋がっているのか、ご縁のままに思いを持って臨んでいきたいと思います。
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浅草寺では、チタンの瓦が使われているそうですが、チタンは日本では製造できず、海外に頼っています。日本の気候では育たない作物を使って日本料理を作るくらいに不自然さを感じますが、耐久性があるからと選ばれているようです。鹿嶋神社では耐用年数1500年のチタンの鳥居が出来たそうですが、そうなるとほとんどの職人が仕事がなくなり、伝承されなくなります。便利ばかりを求めて、日本の知恵を失わないように、自分の暮らしを見つめたいと思います。