昨日は、自然耕の実践園で有名な千葉の藤崎農場にて仲間たちと一緒に稲刈りを行いました。もう参加して4年目になりますが、毎年ここで田んぼを観察し藤崎さんの生き方に触れることで多くの学びや豊かさや安心感をいただいています。
この藤崎さんの田んぼは、生き物がいっぱいの田んぼでありとありとあらゆる多様な生き物たちの活動をイキイキさせながら一緒に美味しいお米を育てています。生態系の宝庫ともいえる田んぼは、文字通り宝石の粒だらけです。私が憧れた田んぼはいついも他の生き物たちを尊重している田んぼで、お互いに譲り合い思いやる田んぼには理想の社會があるかのようです。
お米は美味しくなるのは単に味が良くなればいいというものではなく、その味にはそのお米が育つまでに様々な行動や実践が積み重なり詰まっているから美味しくなります。
真心を籠めて信じ祈るように育てられたお米は、本物の味わいがあり、人はそれを「美しい味」と書いて美味しいと読むのでしょう。美しいとは、そのプロセスの美しさであり、結果だけを偽った見た目の良さとは異なります。そのプロセスが美味しいお米を食べながら藤崎さんの生き方に触れ、自分の何を改善していけばいいかに気づくことが豊かな学び直しになります。
人はなんでもそうですが、何かをしようとするときその何かをやること自体が目的になれば本来必要な準備も怠り、大切な真心を籠める手間暇を避け、単にスケジュール通りにやってこなそうと小手先の技術ばかりで取り組んでしまうものです。
そうすると結果だけが気になり、見た目の結果ばかりを求めるようになり真心はほとんど積み重ならずその行動もまた薄っぺらいものになります。小手先の技術は頭でっかちに考えた多少の技で済みますから、心や自然を相手にする場合はまったく効果がなくいつも自然から間違いを指摘され因果応報、その結果も相応に惨敗するものです。
自然というものは、何もしない中に豊かさが凝縮されておりそれは「信じるという心の準備を怠るな」と指導が入ります。信じて祈るという実践は、改善を積み重ねて学び続けて行動する姿勢そのものとイコールであり、常にそのプロセスを深めて味わい、探求心と好奇心で智慧を蓄え、そして御蔭様の感謝を忘れないことで自然に沿った実践となります。
藤崎さんの田んぼには、その日々の信仰と祈りが具体的な技術にまで昇華されており経営者としても技術者としても、また道の先覚者としても、さらに謙虚な人格も実っています。何かが実るということは、それだけの一つ一つの成長のプロセスを経たということでもあります。
何のために美味しいお米を創るのかのその目的や志が実って、この今に至っているということを知ると改めてご縁のめぐりあわせに感謝するばかりです。
私も子ども第一義の理念に取り組んでいますが、子どもたちの仕合せのために「美味しいプロセス」を一つ一つ大切にしどのような結果が実るのかを楽しみに待ちたいと思います。
味わい深い一日に感謝しています。
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「おいしい」に「美味」という漢字を当てる感覚に豊かさを感じます。お米の一粒一粒に、信仰と祈りという美しい実践プロセスが込められていることを、本当の「実り」というのでしょう。実ったものをきちんといただくということは、そこに込められたプロセスすべての豊かさを味わわせていただくということでしょう。「いただきます」の意味を深めておきたいと思います。
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生き物がたくさんいる田んぼで以前から多くの虫たちを見つけてきましたが、その中に私たち人間も含まれていることを感じました。お付き合いが始まり4年が経ち、年に数回会うパートナーの方々や想いを共有できる方々。そこに惹かれあい、導かれるように関係が年々深まっていると感じるのも藤崎さんの田んぼの特徴なのかもしれません。生き物が集まる場づくりというものを探求していきたいと思います。
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美味しいプロセスと言う言葉にポートフォリオの情報発信にも同じことが通づるのではないかと感じました。竹取新聞やモーニング、ときめきムービー、セミナーソフト発表。どれも当日が大切なのではなく、プロセスを如何に美味しく、楽しく、他力やお陰様を感じながら出来るのかが大切なのだと感じました。自分の振る舞いと姿勢を見直し、変化して行きたいと思います。
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日頃から藤﨑農場さまの「とびっきり米」を頂いていますが、子どもも好んで食べてくれる姿に本物の食の姿を感じます。藤﨑さんはじめ、生き物の存在だけでなく、そこに込められた思いや寄せられた心があることを思うと、日頃何を頂いているのかを誤らないようにしたいと、改めて感謝の気持ちでいただきたいと思います。