昨日は無事に聴福庵の床の間に、砂鉄塗の壁が塗り終わりました。たくさんの左官職人さんたちが見守る中で、一人の左官職人が真摯に壁に向き合って黙々と塗っていく姿には深く心が打たれるものがありました。
職人の志事に取り組む姿勢、まだお若い方でしたが親方について学び、親方が見守る中で真剣に塗っている様子に講習を受けていた他の左官職人さんも次第に目が奪われていくのがわかりました。
職人たちはまるで本物の家族のように温かい感じがして、一緒にいるととても居心地がよく、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。みんなで同じ道に生き、同じ釜の飯を食う、こんな当たり前のことが懐かしく感じるのは、それぞれが日本文化そのものの受け継いで根っこがつながっているからかもしれないと感じられました。
みんな言葉は少なくても、それぞれが材料をつくってみたり、調合を変えてみたり、また塗り方を試してみたり、正解のないものの中からもっともその素材を活かしどのような壁にするのかを研究して周りをみながら研鑽を積んでおられました。
今回、来庵された左官職人さんたちはほとんどが独立してそれぞれの場所で左官仕事を請けておられる方々ばかりでした。日ごろはみんな離れていますが、お互いにみんなそれぞれの持ち場で真摯に挑戦し努力していると思えるから存在そのものが励みになるそうです。
そう考えると、師や仲間の存在があるからその人はさらに向上していこうとする。道の中で誰に出会うかどうかは、その人の生きる姿勢で決まります。
働く姿勢は、そのまま生きる姿勢なのです。
昨日の道場では、心構えをまず親方の姿勢から学び、技術はそれぞれの現場で日々に真摯に磨き、その実践を身体と行動で示す。その生き方を確認する機会であったように思います。
昨日も道具に対する姿勢について、たとえ年上であってもそれは間違っているとその道具への姿勢を叱責したり、あるいは火加減一つにしても厳格に指導したり、あるいは塗りにくくないかと配慮をしたり、あるいは弟子の悩みを朝からじっくり聴いてアドバイスをしたりと、そこには気づきと学びが凝縮された場が醸成されていました。
今回の体験で、左官職人たちがあのように自ら学び、自らが主体的に同じ道の上で切磋琢磨していく姿に本来の学校のあるべき姿を感じることができました。
なぜあのようになるのかをもう一度見つめ直し、日本古来からの精神の伝承、さらには文化伝承の仕組みを引き続き紐解いていきたいと思います。
砂鉄の壁は、紫黒の中に星がキラキラと煌めき、陰翳の中で瞬いている宇宙のようです。この宇宙空間の中に、私たちも存在させていただいていることを改めて悟り、このことを忘れないでいようと初心を定めました。
今回の左官講習ご縁に深く感謝しております。それぞれがお元気でお志事に邁進し、皆様にいつの日かまたお会いできるのを楽しみにしております。本当にありがとうございました。
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「職人」の世界というのは、もちろん「個人の技術レベルを上げる」ということも重要ですが、もうひとつ、「最高の技術と精神を伝承し続ける」という大きな大きな使命があります。教える方も、教わる方も、それは大変なプレッシャーでしょう。そういう意味では、「個人戦」でありながら「団体戦」でもあります。そんな使命感を感じた現場でもありました。
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身近なところで置き換えて考えてみると、セミナーのリーダー研修やサミットにも似ているのかなと思いつつも、何か違うのかなとも思います。親方と弟子という距離感と受講者では、根本的に異なるのだと感じます。聴福庵の甦生において、この親方と弟子とのプロセスがあることも大事にしていきたいと思います。
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職人さんの仕事に対する姿勢をお聞きすると、普段はバラバラに活動していても、集まるとチームになり、お互いに刺激し合うという事を聴き、何のためにそこに来たのか、またその姿勢の実直さや深さを感じます。左官職人さんは自分の中で何人もの師匠を持つと聴きましたが、働く中でこの師匠を持つという事がとても大切だと感じました。自分の心を研ぎ、たくさんのご縁を師匠として行きたいと思います。
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「なつかしいみらい」という言葉がありましたが、今回のような左官職人さんたちの姿はかつては当たり前だったのかもしれないと思うと、またひとつ聴福庵の甦生によって守られていくものの存在を感じました。一見繋がりが観え辛いものの中にある、子どもたちに遺してあげたい確かなものを感じ取っていきたいと思います。