引き続き縁日について深めてみますが、縁日で有名なものに京都北野天満宮の「天神さん」というものがあります。これは北野天満宮の御祭神菅原道真公の生誕日と葬去日が25日であることから毎月25日に開催し「天神さん」と呼ばれ全国各地から多くの参拝者で賑わいます。そしてこの縁日では、たくさんの屋台や露店が出店されます。
改めて屋台と露店、出店の違いを調べるとまず「屋台」は屋外に簡易的に組み立てられた台と屋根を備え付けた小屋の様な移動可能な店の事をいいます。リアカータイプや、軽トラ等を改造して荷台の部分が店舗の様になっている物もありますがすべては「移動ができる」ということです。そして「露店」は露天とも言い、屋外にゴザを敷くなどをして一時的に構えられた店の事で屋根を必要としていません。もう一つは「出店」(でみせ・でたな)とも呼びますが神社の参道にある酒屋や醤油屋が店先にテーブルや台などを出して販売などしています。昔は街道筋や参道の周囲に店舗を構えていた商店が多かったこともありお祭りのときは出店を出していたといいます。
そもそもお祭りは寺社普請の意味もありました。明治以前の人々の暮らしの中心にはお寺や神社があり、それを守るために定期的に建物の修繕、または社会基盤の拡張や一新を図るにあたり莫大な費用が必要になっていました。
その資金を集める一環として寄付を直接募るよりは、お祭りを開催し「的屋」を招き地域住民に参加してもらい非日常(ハレの日・カムニギワイ)を演出する事で的屋から場所代として売り上げの一部を普請の資金にしていたといいます。また庶民も夜店や出店の縁日を通して日本の祭り文化が発展していきました。この的屋とは、縁日・盛り場などに露店を出し、興行や物売りを行う業者のことをいいます。そのような特殊な技術を持った大道芸人や商売人としての的屋も縁日の開催によって生活がなりたったともいいます。
地元の神社でも、昔はお祭りくじがありそれを地元の皆さんで割り振って購入することでお祭りの資金をねん出しており、また神社や境内の運営維持の費用に当てられていましたがそれも失われ今では神社の維持は個々人の寄付のみになっています。個々人の寄付もお祭りや神事に参加しなくなれば次第に失われていきます。
縁日の減少は、言い換えるのなら地域の中心の自治の減退とも言えます。
地域住民が氏神様を中心に氏子として、みんなで地域の政治を協力して協働していた暮らしが失われていくことで地域の繋がりや絆、また暮らしも失われていきます。
縁日の開催は、暮らしの甦生の一つであり、地域の人たちがみんなで有縁を感じ、力を合わせて地域をより暮らしやすい地域にしていこうとする参画意識の確認でもあります。
引き続き、氏神様とのご縁を大切にした小さな天神さん縁日の実践を通してご先祖様が大切に守り続けてきた地域文化の甦生、暮らしの甦生を学び直していきたいと思います。
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先日行われた天神祭も今度行われる縁日においても、着実に何かが動き始めていることを感じます。まして子どもたちが来庵するとなれば尚更、本来の聴福庵の願いにも通じ、ここを拠点に地域が動き出す聴福庵史において重要な機会になると思います。縁日に行くことはあっても行うのは初めての機会ですが、目には見えない様々な縁によって今回に至っていることを忘れずありたいと思います。
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「信仰」というのは、個々人と神仏との繋がり、結びでもありますが、それは、人々を繋げるもの、結ぶものでもあったのでしょう。みんなで支える「行事」が、誰かが企画する「イベント」になって、大事な「繋がり」が消えてしまったのかもしれません。このような「繋がり」を背景に成り立っている「信仰」の深みを感じます。
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子どもの頃の祭りの思い出と言えば、地域の子ども会が主催していた近所の公園のお祭りであり、規模は小さいながらも顔なじみも多く楽しかった思い出があります。小学生でも上級生になれば焼き鳥を焼いたりするなど運営側にもまわっていた記憶もあります。それは「子ども」を中心としたお祭りではありましたが、同じように氏神様を中心としたお祭りがかつての日本のお祭りだったのでしょうか。
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自分たちの理念実践がこどもたちの体験や経験に直接なる事を思うと、やはりこれもまた、不思議なご縁である事を感じます。自分たちが役に立てることをしっかりやって行きたい。そう感じます。聴福庵が生み出すご縁を自分なりに目一杯受け取り、紡いで行きたいと思います。