人間は心が忙しくなると雑然としてくるものです。これはいろいろなことがありますから、目先のことに追われてその意味や目的を省みる時間がないときに起きるひとつの現象とも言えます。
しかしこの現象は、心がけと工夫次第ではいくらでも丁寧にしていくことができます。この丁寧は「暮らし」と直結しておりどのような心で生きていくかが日々の修練によって磨かれているともいえます。
古民家甦生を通して暮らしの甦生をしていますが、この丁寧さと創意工夫は今の時代の個ばかりが優先され我や利己的な部分ばかりがせめぎ合うような環境の中で改めて大切なその人の生き方の資質になってくるように思います。
イエローハットの鍵山秀三郎氏にこういう言葉があります。
「丁寧な生き方をする人を消極的で弱い人と勘違いする人がおります。大きな誤解です。積極的で強い意志がないと出来ません。その上、時間と手間、忍耐と工夫がなければできません。丁寧な生き方は強固な精神力を育みます。」
私も同感で、この丁寧な暮らしを実現するには強固な精神力が必要です。どんなに状況が千差万別しても常に初心を忘れずに創意工夫しながら目的に対して粛々と実践していくという信念。まさに暮らしは、継続するものですから自分の決心した生き方を日々の充実した生活へと昇華していく必要があるからです。
今は働き方改革などといって、それぞれに工夫するように国家としても取り組んでいますが私の思う働き方改革は自他一体であり、相乗効果でもあります。
よく勘違いされるのは、残業時間を減らすとか、もっと効率的にするとか、手段ばかりが語られ議論されることがありますがそれは働き方改革の本質ではありません。
働き方改革は、生き方改革ですから生き方が変わるから働き方が変わるのです。
雑然と生きているうちは雑然とした働きをしてしまいます。一つ一つを丁寧に取り組む実践は、心を入れずに処理をしていくことではありません。それは作業の一つ一つの意味を確かめながら、心を籠めて感謝や真心で取り組んでいくという心の作法が求められます。
質の充実というのは、日々の暮らしの実践の積み重ねの上に存在するものです。その場しのぎでは、生き方までは変わりませんから働き方も変わりません。生き方を見つめるということは、如何に限られた人生の時間の中で自分のいのちをどのように使っていくかといった優先順位の確認が要ります。
会社や社會では、「理念」というものがあり自分勝手にみんながバラバラにやるのではなくその中でも自分よりも少し優先するものを持つことこそが自利から利他になるコツになります。この理念は目的ですから、人生の目的に近づき忘れないために丁寧に工夫する暮らしが創造されていくのでしょう。
引き続き暮らしの甦生を通して、日々の生き方と働き方を磨き直していきたいと思います。
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「丁寧に生きる」とは、「なすべきことを、なすべきようになす」ということでしょう。それは、「その場しのぎ」をしないということでもあります。その基本は、「自分をごまかさない」ということであり、そのためには、「自分の都合よりも優先するものを明確に意識しておく」ということでしょう。自分が使える時間とは「自分の寿命」です。後悔しないように、生きた使い方をしたいものです。
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次の人の事を考えたり、仲間のことを考えたりしながら、どうやって自分を周りに活かすのかを考えて行動することと、どうやって周りを今に活かそうかとすることでは立っている場所が違うのだという事を、忙しくなるとつい、場所を踏み間違えてしまう自分が居ますが、丁寧に心を使うことを大切に今日も過ごして行きたいと思います。
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何かに重点を置くとそこが際立ち、他のところもよく見えてきます。それは掃除にも似ていて、一箇所綺麗にすると他のところも目立ち気になりはじめます。鍵山さんのお言葉はシンプルで分かりやすく、それでいて実践されているからこその重みも感じます。思うことは簡単ですが、日々の積み重ねていく生き方を目指していきたいと思います。
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「丁寧」は自分自身も大事にしたい生き方ではありますが、その深さは「素直」と同じくらい深いものなのだと感じます。古民家での暮らしは弱くて脆いものを扱ったり、手入れが必要なものだったり、手間や時間がかかったり…、でもその中で五感が研ぎ澄まされ心も発動していくもののようにも思えています。やり方の改善ではない工夫を大事にしていきたいと思います。