天に問う

先日、天神祭の中で新宿せいが保育園の藤森平司園長から「学問」についてお話を拝聴するご縁がありました。その中で、学問の「問う」とは何かそれは天に問うことであるということをお聴きしました。

今では学問は知識を詰め込むことのように思われがちですが、古来からの学問の本質は「天命を問う」ことであったように思います。

江戸時代の藩校の最高峰であった昌平坂学問所に佐藤一斎があります。この方の遺した「言志四録」はその後、多くの日本人を育ててきました。明治維新の際には、維新の志士たちの座右の書として長く愛読されてきました。その中の一つに天命について記されたものがあります。

「人は須らく、自ら省察すべし。天、何の故に我が身を生み出し、我をして果たして何の用に供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり。天役供せずんば、天の咎必ず至らん。省察して此に到れば則ち我が身の苟生すべからざるを知る」

意訳ですが、「人間は真摯に省みる必要があります。それは天がなぜ自分を創造し、私を何に用いようとなさっているのか。私はすでに天が創造したものであるから必ず天から命じられた大切なお役目がある。そのお役目を慎んで果たそうとしないのならば必ず何かの天罰があるはずである、それを真摯に省みるのなら自分勝手に安逸に生きていくことはできないと知ることになるだろう」と。

そもそも自分は自分のものではない、自分はすでに天のものであるという考え方が根本にあるのなら、自分の生は天命であるという覚悟が決まるように思います。天が何を使役させようとしておられるか、天が何をしてほしいと願っているか、「主語」を自分ではなく「天」にすることこそ本来の命を活かせるということでしょう。

この「天に問う」とは、自分の天命を知るために問うように思います。天命を知るためには、人事を盡してのちよく慎み省みて天が何を与えてくださっているのかに気づかなければなりません。

自分に与えられている道はいったいどんなものなのか、誰かの道ではなく自分に与えられた道があるのだからその道を歩まなければ天罰があるはずです。その天罰は、そうではないよ、そっちではないよと教えてくださる偉大なる罰のことです。それを素直に謙虚に聴いて歩んでいくのなら、後になって「ああ、これが私の天命だったのか」と知るに至るのです。

迷わずに生きている人は、とても強いように思います。あれもできるこれもできると選択肢が多い人よりも、これしかできないと選択肢がない人の方が迷いがありません。迷いがないから自分の天与の道に専念できるように思います。

人はできないことをやろうとするのは自分が主語になりすぎるからです。できないことは悪いことではなく、自分にしかできないことをやることが本来の学問の意味であり天意を知ることにつながると思います。

私は善い師に巡り会い人生の早い時期に、自分にしかできないことは何かと考える機会を多くいただきました。その師の根底の精神には常に「天に問う」があったように思います。

論語では、「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とありますからこの十年はしっかりと天と対話しながら歩んでいきたいと思います。引き続き、子どもたちの未来のためにも今を大切に生き切っていきたいと思います。

 

 

 

  1. コメント

    先日の講演録を改めて読み返し、「問」には相手に質問することと同時に自分に問うことでもあるとありました。この「問」には、終わりがないなと感じますが、先人も同じ道を辿って来たと思うと一人ではなく、また今一緒に歩んでいる仲間の存在もあります。一歩一歩踏みしめ自問自答しながら歩みを進めたいと思います。

  2. コメント

    いちいち迷うのは、自分が主語になっているからであり、小さな我欲に振りまわされるからでしょう。「天命」「天与」というのは、選択の余地がありません。「自分の都合」を考えるのは、そもそもその出発点が違っているのでしょう。迷わずに生きている人は、「迷う暇などない」ようです。迷っている間に人生が終わってしまわないようにしなければなりません。

  3. コメント

    人それぞれが天のものであり天命があるというのと同じように、人間が創り出したと思いがちな会社や組織などもまた天のものであり、それぞれに天命というものがあるのかもしれません。そこから外れれば廃れ消えるだけなら、それも自然なことのように思えます。色々と移り変わるように傍からは見えるかもしれませんが、これが本道だという実感はあるからこそ、カグヤとしての天命は何かと問いながら臨んでいきたいと思います。

  4. コメント

    必死になれる瞬間というのは、自分自身の我も恥も捨てられて有難いものだと感じます。先日のバージョンアップの会議も自分自身のことを忘れ、必死に場について行くなかで、導きを感じたように思います。その有り難さは、過ぎて見ないと分からないのかも知れないと、今は感じられるように今日のblogを読んで感じました。やはり、大変な時こそ振り返りと内省を大切にして行きたいと思います。

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