家主と大工棟梁

昨日は、御蔭様を持ちまして上棟式を無事に済ますことができました。早朝より祭壇の準備をし、お神酒やお米、お塩にいりこを用い東西南北を清めるために四方固めの儀を執り行いました。

思い返せば昨年4月より古民家甦生をはじめてから大工棟梁と一緒に古いものや捨てられているものを拾い、一つ一つ家が喜ぶように甦生に手掛けてきました。何回も諦めそうになるところを助けてもらい、譲ることができない理念や信条から出てくる身勝手な無理難題を何度も受け止めて手を盡していただきました。

そしてお金にもあまりならず、手間暇もかかり、現代の儲け主義の経済観念からは程遠い私の仕事を心意気で支えてくださっています。家を支えるのが大黒柱だとしたら、その家の主人を支えてくださるのが大工棟梁なのかもしれません。人間に掛かりつけのお医者がさんがいるとしたら、家の掛かりつけのお医者さんは大工さんです。この安心感はとても大きく、長く共に暮らす家には欠かせない存在です。

私のようなど素人がここまで古民家甦生ができるのは、周囲に支えてくださっているご縁があるからです。上棟式の御蔭様でそのご縁の尊さを改めて感じる有難く感慨深い振り返りができました。家や家の主人にとっては暮らしを支える伝統の職人さんたちが減っていくのは本当に悲しいことで何とかしなければと思います。

その後は柱を組み立てていきながら作業は続けられ、お昼の直来では手づくりの「おくどさん」にはじめてかまど鍋を用い「ハレの日」の初のお祝いとしてトン汁をつくりました。具材は地場産野菜、味噌も自家製の手作りのものを使いました。また竈でご飯も炊き、左官職人さんたちも合流して一緒に食事をしました。

夕方の上棟式では、クルーの一人も一緒に屋根に上り四方餅を撒き、祝杯と共に私たちの会社の創作祝い唄である「円満祝い唄」をみんなで唄いました。

大工さんや鳶職の方にも古来から木遣り(きやり)という労働歌の祝い唄があります。これは木遣り歌・木遣り唄ともいわれ、由来は1202年に栄西上人が重いものを引き揚げる時に掛けさせた掛け声が起こりだとされています。私たちの祝い唄も同様に、どんなに苦しくて大変でも笑っていこう、すべてのことは福に転じていこうという歌詞になっています。

これまでの苦労と仕合せを噛み締めながら唄う円満祝い唄が心に染みました。同時にこの日本人の精神や真心が、未来永劫子どもたちにずっと伝承されてほしいと願い、家に祈りました。

引き続き、これからはいよいよ古建築の智慧を学び直すため古来の工法の瓦葺きの挑戦に入ります。いただいているご縁を大切にし、恩返しに換えていきたいと思います。

  1. コメント

    家を直すことも新しく建てることも、いつもそばにいてくださる棟梁に改めて感謝の念が湧いてきます。屋根にあがらせて頂きお餅を撒いたことも、祝い歌を歌い一家の門出を目出度くお祝いできたのも、職人さんや皆さんあってのことです。普段の生活の中で家族の「ハレの日」を祝うかつての日本の暮らしのように、この経験ができたのも大きなことです。多くの方に支えて頂いていることを忘れず、一つひとつの機会を大事にしていきたいと思います。

  2. コメント

    肉体的な健康管理には、掛かりつけのお医者さんが必要なように、家を守り続けるには、専属の大工さんと左官さんが不可欠です。修理、修繕というのは、特別なことではなく日常的に必要なことです。そのようなこまめなケアーが、永く付き合う秘訣でしょう。家をご縁に一緒に生きていく人たちと、家を見守り、また家に見守られながら生きていく幸せをしっかりと味わいたいものです。

  3. コメント

    その場に居合わせることは出来ませんでしたが、文面を読んでいるだけでも何をやったかではなく、その取り組みの経過にこそ意味があるのだと感じられます。家が喜ぶとはまさにこのような人々の思いや繋がりがあるからなのだと、ある意味で真逆の事例も見せていただいたからこそ、やはり自分たちが何を基準にしているのか、何を取り戻し新たにしようとしているのかを誤らないよう、この大切な機会に臨んでいきたいと思います。

  4. コメント

    家主と大工棟梁との関係のような関係をお客様とも作っていくこと。それは、仕事ではない関係であることが良くわかります。ただの事業、ただの作業、ただのサービスではない関係を、どのようにして作っていくことが出来るのかは、やはり自分次第なのだと感じます。心が思うとおりに身体を動かしていきたいと思います。

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