人は自分という存在を自覚するのは、周りの人たちのことを深く知ることで理解できるものがあります。どのような家族や友人や仲間に囲まれているか、その環境の中で自分自身が形成されてきたことに気づきます。自分が今、自分を自覚できるのは与えられてきた環境やご縁によって自分自身になったともいえるからです。
そう考えてみると、自分はこれまでどう生きてきたか、そしてこれからどう生きていくかという事も考えていくことができます。生まれながらに恵まれた環境を与えられて、善い人、善い友、善い教えに触れてきた人は仕合せに気づきその恩恵に感謝しながら肯定的に生きていけます。しかし時として恵まれない厳しい環境を与えられてしまい、善いものに出会えない場合はなんでも否定的にしてしまうことがあります。
人生は巡りあわせではありますが、どのような道を生きてどのような人生を送るかは生れ落ちたところで決まります。与えられた場所に感謝して、その場所をもっと善くしていこうとする努力こそが人生の醍醐味であり、そこに不平不満を言って腐っていても何も変わることはありません。
自分自身を変えるということは、今の自分を創り続けるという努力が必要になります。それは日々に感動や感謝、そして感激をする心、感性を磨き、心を瑞々しくし続ける努力とも言えます。心が閉ざされて感情も冷めてしまえば、与えられた環境を活かすことができなくなります。また同時に環境を感じる力がなくなり、環境に流されてしまうようになります。
人間は環境を創造していくことができる生き物ですから、与えられた環境下の中で如何に五感を研ぎ澄まして自分自身を毀していくかは人生の命題であり、それぞれの大きないのちのテーマです。
人生は死ぬまで自分自身を創造していく創作活動です。
子どもたちにもその後ろ姿から何かを感じ取ってもらえるように精進していきたいと思います。
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昨日友人の結婚式がありました。高校時代の友人でもう10年来の付き合いになります。今もこうして繋がっているのは、きつい練習を一緒に乗り越えてきたからであり、善き友人たちに恵まれたことは本当に有難いことです。友人や仲間のお陰で今の自分が形成されてきたと思うと、踏み出す勇気をもらっているのもこの存在があってこそです。切磋琢磨し高め合っていけるよう、精進していきたいと思います。
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人は、「持って生まれた先天的なもの」だけでなく、「その後の環境」によって創られていくようです。その「環境」には、一見「恵まれたもの」と「そうでないもの」がありますが、「環境さえよければいい」というものではありません。必要があって「今の環境」があるわけですから、まずは、「今の環境から学ぶべきことを学ぶ」ということが必要でしょう。そうすれば、環境は変わっていくようです。
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一年を振り返ってみると、今年は去年と違い、今年らしい一年だったなと思います。苦悩もまた形を変えていろいろな体験を頂いていますが、それもまた一つ、今年ならではの幸せを頂いていると感じます。毎年毎年、様々な体験や感情を味わえますが、どれも貴重なものであり、良い悪いではないものでもあるように感じます。頂いている機会にはどんなものにも意味がありますが、その体験の良いところや教えを受け取れるには、物事を良い風に聞ける聴福人としての姿勢が大切だと感じます。それができないと、不足や不満が先に出て、教えるや矢印が相手に向き、受容や共感をおろそかにしてしまうのだと思います。そしてタイミングを無くし、運を下げてしまうのかもしれません。恐ろしいほどに原理原則が作用するのは本質だからかもしれません。わからないながらも、今頂いている機会の中で、飛び込んで実証していきたいと思います。
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新たな取り組みを始めようとする中で、行っていこうとしていることはある意味で与えられた環境を振り返り、そこに新たな価値を見出し、それをまた甦生していくことのようにも思えています。恵まれた環境か否か、それは絶対的なものもあるかもしれませんがどれだけ省みることが出来るかどうかによるところも大きいのかもしれません。相応しいものとして全ての機会を有難くいただいていきたいと思います。